万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

コートが暑い

 なんだか先週の終わりくらいから暖かくなってきた。夜中や朝方はまだ寒いけれど、昼間はコートなんて羽織っているとじっとりと汗が滲む。もうそろそろ冬も終わりなのだろうか。今年は関東圏で雪が膝下まで積もるなんてことはなくて平和だったと思う。それとも温暖化の影響で雪が降らなかったのだろうか。でも僕としては雪かきは疲れるし面倒だしで少しも良いことがないのでそれで良かったと思ってる。別に温暖化を称揚してるわけじゃない。

 今日は(日付的には昨日)朝から映画を観に行った。『女王陛下のお気に入り』。イギリス、スチュアート朝のコスチュームプレイ映画で、前々から気になっていた。その内容もそうだし、来月にテューダー朝のコスチュームプレイである『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』が公開されるからというのもある。どちらも時代こそ違えどイギリスのコスチュームプレイで、かつ時代が近いため流れを意識しながら観るのを楽しみにしている。スチュアート朝テューダー朝とでは後者のほうが時代的には先にくるので映画を観るのはふたりの女王の公開後に時間軸に沿って見ようかなあと思っていたのだけれど、我慢ならず観てきてしまった。やっぱり映画は良いものだなあと再確認した。アン女王の寵愛を得ようとドロドロの感情をぶつけあうのがこの映画の核となる部分なのだけれど、その表現が実に巧妙だった。役者の演技もあるし、(耳鳴りのようなあの)効果音も登場人物の心象風景を描き出すのに一役買っていた。最後のあの……これ以上は言わないほうがいいかもしれない。実際に映画を見てもらえれば分かることだし。で、この映画を見るに当たって少しはイギリス王朝の勉強をしたのだけれど、これがまたこんがらがっていて理解に時間がかかった。無数にいるメアリー、お前らのことだ。僕は世界史には疎いから勉強し直したのだけれど、割と面白いのね。映画を見て更に思ったのだけれど、出来事とその背景を想像するのが楽しい。何が起き、それが何を引き起こし、そのせいで更に何が起こったのかとか、その裏で暗躍した人の感情とか。そういえば『女王陛下のお気に入り』のホームページ、これがまた秀逸だよね。あの一枚絵が意味深だから、そこに込められた意味とか意図を想像せずにはいられない。

映画『女王陛下のお気に入り』公式サイト

 映画の話はここまでにして、映画を観終わったあとのことだ。家具屋を冷やかした帰りに路上で荷物を広げている二人組の女を見た。最初は何をしているのかなあと流し目していたのだけれど、その意味が分かったら思わず吹き出してしまった。彼女らは陽のあたる場所で白い紙袋(商品を入れてたやつだろう)の上にコスメやら何やらを並べていて、他の通行人の奇異な視線をものともしない。これは単に鈍感なのか胆力があるのか、はたまた自分たちの行為に酔っているのだろうか。まあそれはどうでもいいのだけれどね、女の1人がスマホを取り出したので、ああこれが俗にいう「インスタ映え」を狙った写真を撮ろうとしているのだろうと察しがついたわけ。僕が吹き出しても彼女らは意に介さず楽しそうに笑っていた。あんな人が本当にいるのだね。僕はてっきり想像上の、あるいはネット上の架空の存在だとばかり思っていたのだけど、実際に目にすることになるとは。あんな人にはなりたくないなあ。別に迷惑だとは思わなかった。逆に奇特なものを見せてもらえて感謝してるまである。僕としては自分の欲望のままに行動して嘲笑の的にされるというのは嫌なんだ。あの女性たちはインスタに写真をアップして何を得たかったのだろう。承認欲求を満たすことだろうか。でもそのために自分の価値を損なうようなことをして、一体何が楽しいのだろうね。

 しかしその時の僕にはそんな面白い光景のことなんてあまり気にならなかった。暑さのほうがもっと気になっていた。時刻は2時くらいだろうか、ちょうど日が真上にきて一日で最も暑い時間帯だった。朝は寒かったというのになんだよ、太陽というのは気が利かないやつだなあと愚痴を頭の中で呟いていた。僕はコートを羽織っていて煩わしく思っているのに、手で持つのも躊躇われたので羽織ったままにしてたわけ。前は開けて風にはためかせていたのだけど、そんなに風の強い日じゃなかったから暑いは暑い。あ、コートは風にはためいていたのではなくて、僕が早歩きをしていたからふわふわと浮いていたのだろうね。風の弱い日だった。逃げるように商業施設(高島屋だったかな)に入ったわけだけど、その中も暑い。コートを脱げばいいのに、僕は手に持つのはどうしても嫌だったから頑なにコートは羽織ったままにしていた。受付のお姉さんが笑顔で僕に会釈した。僕はその笑顔の下で暑いのにコートを羽織っていることを馬鹿にしているのだと思った。きっとあの人は仕事をして、僕には何の感情も抱いていなかったのだろうね、でも僕は意味を勝手に付与して自分が傷ついた。ああ、嫌だなあ、これだから人のいるところにはあまり行きたくないのだ。でも最新の映画を観るためには映画館に行くしか無く、映画館に行くには電車に乗り、街中を歩き、商業施設の中を徘徊しなければならない。困ったものだけれど、こればっかりは避けられないことなのでしかないのだと言い聞かせながら僕は映画館に行くのだ。やはり映画館が併設されるような複合商業施設に勤めている人は雰囲気が穏やかだと思う。最寄りの駅みたいに変な宗教勧誘をする人も死にそうな顔で電話をする社会人もいないからギスギスとしていないからかなあ。大抵このような複合商業施設の民度は高い。良いことだ。店員が常に笑顔を絶やさない、まあ張り付いた仮面みたいな不自然な笑みではあるのだけれど、そんなところもまた良いことなのだろうか。でもあんな笑顔で見られると僕は赤面してしまうわけで、それは僕みたいな笑顔を浮かべることの少ない人が歩いていて良いのだろうかと罪悪感からくるものなのだけれど、それでも笑顔を見ると人間ていいなあと思う。笑顔は良いことだよ、ビバ・スマイル。それでも家族連れが多いところにいるのは良くないんじゃないかなあ、あの赤子に僕が悪影響を与えはしないだろうかなんて思う。なんだか幸せそうな家庭の姿を見ると、僕との間に膜を感じるんだ。

 連絡通路を歩いていると叫び声が聞こえた。幼稚園児が何かを叫んでいた。近付いてみると、アンパンマンやキティー等のキャラクターの顔が前面に張り付いている車があった。樹脂製の幼稚園児が1人乗れるくらいの小さな車。プレートには「この階でのみお使い下さい」と注意書きがしてあり、「ははあ、さてはこれから別の階に行くのに子供はとにかくこのキャラクターの付いた車に乗りたいから駄々をこねているのだな」と思った。可愛いものだなあ。子供というのは。僕も生来は子供を飼いたいなあなんて思ったけれど、面倒のほうが多そうで、しかも父親のような親になることが怖いので子供はいりません。そのまえに結婚が必要なのだろうけれど、とうてい結婚できる気もしないので子供以前の問題でした。

 早々に叫ぶ子供のところから去って、伊東屋に赴いた。ペンケースが欲しくてショーケースを眺めていたのだけれど、あまりしっくり来るものがない。まあアマゾンで物色すればいいかなあと思い、何か万年筆とかボールペンの珍しいものはあるかなあと見ているとペリカンのヴァイブラントブルーのボールペンやアウロラのアクアの万年筆がある。珍しいなあ、欲しいなあと思っても、まあ学生の身分でおいそれと買えるものではないので眺めるだけ。でもパーカーディホールドの蒔絵「流水」万年筆があったことには驚いた。日本限定販売77本で36万円のやつ。ここまでくるとただの嗜好品に過ぎないんだろうなあと思った。僕もまあ5万くらいの万年筆(オーシャンスワール)を持っているのだけれど、ぎりぎり実用品の域に入っていると思うので、一生モノとしてはこれで十分かなあ。

 そろそろ就活が本番なので手帳を買おうかな。でも良いものは高いから悩みどころ。