万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

公開したゲームについて少しだけ書きたいと思った

 「贖罪と命」の感想が嬉しくて飛び回っている僕ですが、まあ文章力が高いと評されれば自己肯定感の低い僕からしたら最上級の褒め言葉なので別におかしな行動ではないでしょう。一方でどの感想でも難解だったと言われているので、僕としては分かりづらかったのかなあと不安になるばかりです。でも僕が書きたかったエンタメではなくて文学寄りの作品が書けたのでその弊害かと思うと安心できるような、できないような。しかし難解だと言われたままわだかまりを残していくのもどうかと思ったので、でも作者が解説するのは蛇足だと思う僕ですから、解説未満の蛇足にならない程度のなにかを書こうとこうしてブログを開いたわけです。これは感想を読んだ感想なのだけれど、実際のところ皆さんの推察が鋭いことに驚かされてばかりだったりする。まあこの作品のプロットは40文字程度、短編を想定したもので、率直に言えば至極単純なので割と分かりやすいと思っていた自分がいたのは確かなのだけれど、難解だと言われたのできっと難解だったのだろう。でも構造としては本当に単純なんですよ。一つ目の手記が「悪」をテーマとして、2つ目の手記が「人間」をテーマにしていて、三つ目の手記は「救い」をテーマにしている。4つ目は結びなのでとくにテーマは無いのだけれど、あえて言葉にするならタイトルと同じだと思う。

 さて、ここから少し踏み込んだ話をするのだけれど、僕はあの作品を書くにあたって常に意識した言葉がある。これはツイッターでも呟いていたが

「もしも人類が生存し続けて行くとするなら、それは単に生まれてきたからというのではなく、その生命を存続させようという決意をするがゆえに存続しうるということになるだろう」

サルトル『大戦の終末』

 この言葉だ。この作品において主人公は死を(表面的には)願っていたのだけれど、死の間際に見え隠れする抵抗に困惑していた。最終的には(様々な意味で)抵抗することを選択するわけだけれど、その選択の決意に繋げるために僕はこの言葉を意識していた。

 僕はなんというかディレッタンティズムな姿勢で哲学を嗜んでいるわけだけれど、そのなかでもとりわけ僕の内面に強く響いている実存主義には思い入れがあり、その思考の一端がこの作品には現れているはずだ。そのことも思考の端にでも置いてもらえると理解の一助になるんじゃないかなあなんて思う。

 感想の鋭さに唸っている僕だけれど、どれかと言えばNaGISAさんの言及した死ぬような暴力を振るわれてきた主人公の自然な姿が死であるってところや、九州壇氏さんの言及した「『他者には理解しがたい自己』を愛する心」について等がそうだ。思考の余地を残すためにも明言は避けるけれど、そういうことです。

 ……ここまで書いてて不安になっているのだけれど蛇足になってないかなあ。作者が自作品を説明することほど興が冷めることはないと思うんだよね(考察ゲーでもない限り)。

 でもこれ以上は流石に蛇足かな。しかし最後にひとつだけ言わせてもらうと、作中にはいくつもメタファー(自分ではそう思っている)があるので(例えば熱帯魚のシーン)、そういうところも踏まえて考えてみれば発見があると思うのです。