万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

7月ももう終わりですね。というか暑くないですか?

 ここ最近は本当に暑くてほとほと参ってしまっている。この前の土日には『天気の子』を観に行こうと思っていたのにすっかりバテてしまって家から出ることが出来なかった。他にもこれから行ってもいい席が無いからいいか、と思っていたのも原因だろうが。まあそれは席の予約していなかった僕が悪い。暑さというのはなんでもかんでもやる気というものを削いでしまうように思う。僕だって席の予約をして映画を観に行きたかったよ、でもさ、暑くてだれてしまって僕はもう予約をする元気すらなかったのだから仕方がないよね、太陽が悪いんだ。あの燦燦と輝くまるで僕の存在を照らし出そうとするかのような忌まわしい太陽が。というか太陽って明るすぎるんだよ、もう少し、ほら月みたいに穏やかな光を発してくれないかなあ。でも月も月で眺めていると狂ってしまいそうな鋭さのある光だから僕はあまり好きではない。太陽よりは好きだけど。全般的に光というものに耐性がないのかもしれない。暗闇の住民、と言ってしまえば厨二病チックなのだけれど、でも案外間違っていないように思う。

 ここ一週間は暑いのもあってかセブンイレブンのソフトクリームを帰りに買うのが常なのだけれど、コンビニアイスも馬鹿にできないなあ、と食べてて思う。というかスーパーで売っているようなアイスよりも断然セブンのそれの方が美味しい。200円弱という少し値の張るだけはあると思う、コクが違うんだ。以前の記事で牧場しぼりが美味しいと書いたのだけれど、僕としては牧場しぼりの倍近い値段なだけあってセブンの方が美味しいと感じている。少し溶け出したときに舐めるのがお気に入りだ、滑らかなクリームが温度の上昇とともに強く感じられる甘みを携えて舌に広がるのだ。一応セブンには普通のソフトクリームとは別に金のワッフルコーンなる税込み300円のソフトクリームもあるのだけれど、実際それを食べてみて美味しいとは思うが300円に見合うかと言われれば微妙なところだ。美味しいのだけれど、普通のソフトクリームを1.5個食べたほうが満足度が高い。

 そう言えば昨日は暑さにやられたのか身体が怠く、ベッドに突っ伏していたら21時には眠りに落ちてしまった。そして起きたのが7時半で朝から時間を無駄にしてしまったような気がして滅入った。そんな今日の始まりだったのだけれど、更に悪いことに起きたら変な格好で寝てしまったのが悪かったのだろう、体の節々が痛み、電車は一本遅れた。なんだか散々な日だった。散々な日だったから更に不幸なことが起こるような気がしていたのだけれど、特にその他に悪いことも良いことも起こることなく……いや、セブンのソフトクリームが売り切れだったという少しだけ悲しい出来事もあったか。まあ、交通事故に遭うような命に関わる不幸がなかっただけマシなのだと思う。

 人間に起こる重大な出来事は畢竟、誕生と死の二つに分けられると思うのだけれど、誕生というものは逆子だったり、へその緒に首を絞められるなどの多少の例外はあれど、基本的に子宮から外に出ることで完了する。しかし死はどうだろうか、誕生はほぼ一つのパターンしかないが死に関しては無数の形がある。事故だったり、自殺だったり、寿命だったり、病気だったり。誕生よりも多くのパターンが有りその上〈死〉というものは傲慢にもその人の人生そのものを決定してしまうように思う。死こそ誕生よりも衝撃的な出来事なのだ。

 もしも、僕が自殺したとしたらどうだろうか、僕を知らない人はきっと彼は苦しんで居たのだろう、あるいは生きることから逃げ出した臆病者だと思うかもしれない(たとえ僕が生きていることに幸福を感じており、実際には自殺ではなく足を滑らせた転落死だったとしても)。もしも僕が事故で死んだとしたらどうだろう、僕を知らない人は彼にはまだまだ幸福な未来があっただろうにと嘆くかもしれない(たとえ僕が希死念慮に囚われていて、わざと車の方へ身を投げたとしても)。あるいは僕が溺れている人を助けてその過程で死んでしまったらどうだろう、僕を知らない人は彼は勇敢な若者だったと称えるかもしれない(たとえ本当の僕は普段から生き物を殺してしまうような劣悪な人間だったとしても!)。

 死というものは強烈で、当たり前だけれど死んだ人は口がきけない。だから死んだ当人がどうであれ周りが勝手に印象を決定してしまう。まるでその人の人生を塗り替えてしまうように。〈死〉とは一種の絵の具のようなものなのだろう、死という絵の具を持って、画家である人たちは死者というカンバスに好きな絵を描く。カンバスが何色だったのかなんてまるで気にしない。多少はカンバスにあった下書きを気にするかもしれないが、塗り重ねることでその人の本来のものを全て塗り替えてしまう。〈死〉は傲慢だと言ったけれど、それ以上に自分勝手なイメージを付与する画家も傲慢なのだろう。しかし画家はそんな自分自身の傲慢さには気づかない。なぜなら彼の世界の出来事こそ真実で、時間の止まってしまった、口すら聞けない死者の世界なんてものは彼にとってカンバスに過ぎないのだから。筆を走らせる自分こそ、真に正しい姿をしているのだ。

 今日は少し不幸なことがあったけれど、8/1には楽しみなこともある。『ルインズシーカー』というR18同人RPGが発売されるのだ。僕の嗅覚が告げている、この作品は2019年に出るR18同人RPGのなかでもトップ3に数えられる名作になると。体験版も楽しかったし、期待しか無い。8/1の0時に発売開始だから今もかなりウキウキしている。