万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

明けましておめでとうございます

 もう2020年。早いものだなあ、ついこの間はまだコミケの準備であくせくと作業していたというのに、コミケは終わって、新しい年。おかしいなあ、体感ではまだ2019年なのに、カレンダーは2020。もしかしてカレンダーがずれているのかしらん、でもデジタルのカレンダーなので間違っていないのでしょう、ああどうしてこんなにも時間が過ぎ去るのは早いのでしょうか、僕は取り残されてしまいそうで怖いです。こんな調子だと気が付けばよぼよぼのおじいさんになっているかもしれない。やや、それはまずいなあ、僕だって若い間にやりたいことがあるのだ、ゲームとか。しかし僕がおじいさんになるまで暮らせているかどうかが怪しいので考えても無駄ですね、もしかしたら僕は30半ばで死んでしまっているかもしれないし。

 新年ということなので今年の抱負でも書こうかしら、しかし去年書いていたように昨年の振り返りをしていないので取り敢えずは去年を振り返ろうか 。しかし思い出そうとしてもても案外思い浮かばないものだ。去年の1月とか何をしていたっけ? ああ、あの時期に『贖罪と命』のシナリオを執筆していたのだったかしら。なんとなくそんな気がする、でもその時の情景は思い浮かばない、ただ僕が執筆したという記憶があるだけで、している現象の記憶がない。もしかしたら本当は僕が書いたのではなくて、違う人が書いたのかもしれない。ゴーストライター。そう思ってしまうと新作の方も自分で書いたのか怪しくなる。いや、書いたんだよ、割と最近のことなので覚えてる、ワードが吹っ飛んで数万字がおじゃんになったことも覚えてる。しかし不思議だよね、読み返してみると自分で書いた気がしない、僕ってこんな言葉知っていたっけ、とかこんな表現どうして思いついたのだろうって部分が結構ある。僕は僕として連続しているのだろうけれど、しかし過去の自分の文章を読むとどうもそんな連続性が揺らぐような気がするのだ。もしかしたら僕の中に別の人格があって、文章を書いているのかもしれない。でもそれだったら気持ち悪いなあ、自分が自分でないっていやだなあ。まあそんなことはないはずです、僕は僕として成立しているはずです。……というか去年を振り返っていたはずなのは早くも話が脱線している、おかしいなあ、僕は真面目に振り返ろうと思ったのに、あれれ。まあいいか、気を引き締めて去年を思い出そう……が、2月は何をしたのか全く覚えていないし、3,4,5,6,7,8,9あたりも殆ど覚えていないのです。僕は健忘なのでしょうか、全然光景が浮かばないのです。ああ、絶望的だ。僕の過去が嘘っぽく思えてしまう。教えてくれ美しい魔女よ、僕の過去は本当に会ったことなのでしょうか。というか気持ち悪いなあ、僕の文章気持ち悪いなあ、なんだよ教えてくれ美しい魔女よって、ボードレールなんて口ずさんでさあ、気持ち悪いったらありゃしないよ、わかるよ、ボードレールの詩は凄くいいよ、でもさボードレールの一節を覚えているような人間って気持ち悪いよ、というか詩を一節を覚えているのが気持ち悪い、めまいがするやう。詩なんて覚えるんじゃなくて、もっと音楽のフレーズとか覚えればいいのにさ、ああ、本当に恥ずかしい人間だよ、僕は。自尊心ばかりが肥大して、それなのに表に出ようとしなくて、なに、生きている意味あんの? 死ねばいいのに。

 ああ、新年早々死にたくなって、でも僕にそんな度胸はないのです。ODする勇気も、過食と嘔吐を繰り返す勇気もないのです、だって僕は平凡だから。気持ち悪いだけで平々凡々の、普通の、何者にも成れなかった人間なので。ちょっと厭世的な部分と、自己否定的な部分があるだけで、特に取り柄があるわけでもなく、たまに僕の文章を褒められることもあるけれど、自分で読み返してしまえば吐き気がして、どうしてこんな気持ちの悪いものを世に出してしまったのだろうと死にたくなる。ああそういえば新作だけれどDL版を発売するつもりはさらさらありません、だってこれ以上僕の作品を他の人に知られるのが死にたくなってしまうから。焼いた分だけはまあ仕方ないと販売しているけれど、さすがにそれ以上は無理です、心が死にます。だったらなんで創作なんかしているんだよって話になるのかもしれないけれど、僕にだってそんなの分からないよ、たぶん人から認められたいと思っている部分はあるよ、多分じゃなくて絶対あるよ、でもさ僕を認めてくれるような人がいる世界が僕にはとても悲しくて、気持ち悪く思えてしまうんだ。だって僕の文章って――自分で言うと恥ずかしくて死にたくなるけれど――とてもじゃないが明るくなくて、どんよりと濁った沼底の水みたいな色をしているじゃないか、そんなものが世界に存在しているだけでもなんだか申し訳なくなるし、殻にこもりたくなる。

 ああ、嫌だなあ、まともに振り返りが出来ないところもだけれど、こんな風に暗いことを書く自分も嫌だなあ。

 そうだ、そうです、新年の抱負でも書いて明るい気分になろうじゃないですか、そしてアハハと笑って、はい、テンポ正しく握手をしませう。……しかし抱負はなかなか思い浮かばないものだ、今年の自分は何がしたいのかなあ、と考え、自分が無いのでなにもない。自分の中を見ても暗い闇ばかりで、絶望的な気分になるだけで、ああ希望を持とう持とうと思ったところで灯が付けられないのです。僕に足りないものはたくさんありすぎてなにを照らせばいいのかわからないのです。ひとつひとつ何かを得ようとすればいいのでしょうか、雑然とした部屋を想像したらわかるように、何から手を付けていいのかわからない、ひとつゴミを片付けたところで部屋の印象は全く変わらない。もしも部屋がきれいになるまで部屋の状況に意識を向けないのであれば綺麗にできるのでしょうが、僕は僕が進んだ道を、それが本当に正しかったのか一々確認しないと気がすまないたちなので、一々気にしてしまい、気が滅入って、手が止まってしまい、全く綺麗にならないのです。ああ、虚無。

 なんだろうなあ、漠然と考えて、特にそうしたいとは思っていないけれど今年はもう一つは作品を作りたいなあ、でもそんなことをしたところで僕はどうせ満たされないんだろうなあ、むしろ死にたくなるんだろうなあ、ストレスで酷い目眩に苛まれるくらいに頑張ったところで意味がないんだよ、更に自分を苦しめようとするのは本当に馬鹿の所業だよ。でも苦しいから僕は僕の存在を実感出来る気もする、生きているのは苦しいことだから。

 はい、ということで新年の抱負は作品作りです。またどうせサウンドノベルになると思います。絵を用意するの苦痛だし。だれか僕の文章に絵を提供してくれる人はいないかしらん。自分で描くのに限界を感じてきた。しかし人に絵を提供してもらえるほど佳い文章を書けている気がしないので自分で補うしかないんだろうなあ。

 ああ、そうだ、腕試しとして小説を一つ新人賞に出してみよう、新潮新人賞。と書いたところで自分の浅はかさとか自尊心に吐き気がした。気持ち悪い。

 というかなんだこれ、新年一発目の記事で暗すぎやしないか。はあ。