万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

解体/破壊

 すっかり更新していなかった。何があったのかと言えば別に何があったからと言うわけでもないのだけれど、あえて挙げるとすれば卒論発表があった。その準備で少し忙しかった。なおまだ卒論は提出していない(デッドラインはまだまだ先なのだ)。しかしまあ卒論発表が終わり、少しだけ心に余裕が生まれた今日このごろ、余裕があるからといって憂鬱でないとは限らない。むしろ少しだけ生まれた隙間に今まであえて考えようとしていなかったことが染み込んできて苦しくなる。忙しい時の方が忙しさに熱中できて楽だったというのはなんとも皮肉な話ではないかしらん。まあ卒論発表が終わったところで僕はこのまま院に進むので忙しいことには変わりないのですが……春休み、無いんですよね。恐らく二三月も研究室で実験に明け暮れていると思います。でもいいんですよ、それだけ忙しければまだ直面したくないことから顔を背けていられるから、いいんです。僕は様々なことから逃げて生きてきました。妥協して生きてきました。だってそうじゃなきゃ壊れてしまいそうだったから。だからこれからも、そうあれる限りそうして生きていきたいなあ。嫌なことは嫌なことなんだから目をそらして生きていきたいのだ。

 

 解体。何かをばらばらにしてみること。

 解剖。分解して分析すること。腑分け。

 僕は昔から何かを解体/破壊することが好きだった。例えば廃棄されていたラジオを壊して基盤を取り出し、コレクションしていたし。例えば大きな石を石にぶつけて割り、内部の断面を見るのが好きだった。しかしそれはもう昔のことでここ十年くらいはそのようなことをしていない。 しかしその当時の名残は今もある、少しだけだけど石をコレクションしている(原石に限る)。最近はしていないけれど骨格標本もいくつか作った。肉を取り除いて骨だけにする快感は実際にしてみないと分からないだろう、美しく着飾っていた命が剥がれ落ち、しかし中にもまた美しい白い根幹がある光景は。僕はたまに自分の右腕が腐り落ちてしまう夢を見る。僕はその腕を拾って、骨にするのだけれど、その骨はなぜか黒ずんでいて酷く悲しい気持ちになる。なんであんな夢を見るのだろうか、夢は抑圧された願望の現れだとフロイト先生は言っていたけれど、もしそうならば僕の夢は何を意味しているのだろうか、僕は落ちぶれて、腐り、どうしようもなく救われなくなることでも望んでいるのだろうか。そうだったら嫌だなあ、僕は幸せに生きたいのだ。決して破滅なぞしたくない……が、それでも破滅願望があるにはある。迫りくる電車を見、線路に飛び込んでみたくなったり、目の前の人に殴りかかりたくなる(そして誰かに押さえつけられて「ああ、僕は終わりだ」と叫びたい)ことがある。末期だな。

 

 なにかの弾みに僕はふと「どうしだろう」という疑問が思い浮かぶ。そして「どうしてだろう」と独りごちて虚しくなる。どうして僕は生きているのだろう、どうして僕は……そんな漠然として虚無的な感覚の集約がこの「どうしてだろう」という言葉なのだろう。足枷が付けられて、重々しく脚を引きずっている感覚。動きたくても満足に動けなくて、まるでベンゾジアゼピン系の薬を飲んだときの頭が(身体全体が)重くなるような感覚。時間の流れがゆっくりと流れているような気がし、しかし驚くほどに時間は早く過ぎ去ってしまい、僕は依然として動けない。脚を切り取られた蟻のようだ。何かを徐々に喪失してしまっているような気がしてならない。普通に生きているだけでも空気の粒子が内側の何かを削り取ってしまっているのではないだろうか。雪が降り頻る風景を想起する、雪はアスファルトに吸い込まれて消えてしまう。しかし雪も強ければ積り、堆積物を形成する。でもやがて降ってくる雨に、足に、タイヤに、削られ、消えてしまう。くだらない、ばからしい、そんな言葉が頭の中で回って、雪が溶けるように消えて、しかしまた現れる。くだらない、くだらない、僕の人生はくだらない。

 

 ある夜に自分の手を壁に叩きつけたことがあった。痛かった。そして猛烈に泣きたくなった。痛くて泣きたいわけではなく、意味もなく泣きたかった、痛むからという理由を隠れ蓑に泣きたかった。でも泣かなかった。泣けなかった。昔は泣き虫だと言われ、バカにされたけれど、最近は泣けない。心が死んでしまったようだ。

 叩きつけた手は妙に赤い色をしていて、僕は自分でしたことのはずなのに「どうして」と思った。どうして僕の手は痛むのだろう、どうして僕はこんなことをしてしまったのだろう。ばからしい。空を仰ぐと雲の切れ目から月が覗いていた。苦しそうだと思った。雲に圧迫されて、苦しげに光って助けを求めているのだと。でも僕にはどうしようもないよね、だって月だよ、手が届くわけないじゃないか、どれだけ離れていると思っているのだい? 君は自分でも分かっているのだろう、僕のような小さな存在に助けを求めたってどうにもならないことなんて。止めてくれよ、そんな風に見ないでくれ、懇願しないでくれ、今の僕は弱っているんだ。

 

 夜道を逍遥し、街頭に淡く照らされたコンクリートの壁がまるで堡塁のようだと思い、センチメンタルになった。この高い壁は家族を守っているのだろう。ふと僕の家族が壊れたのは壁を壊したせいなのではないかと思った。

 僕が昔、まだ関西に暮らしていたときのこと、当時住んでいた家の前にレンガ製の壁があった。正確には家の前に一区画が壁で仕切られて物置のようになっていた。その家には駐車場があったのだけれど、父がなぜかその壁を崩してもう一つ駐車場を作った。軽自動車がなんとか入るくらいの小さな駐車場と言えもしない駐車場だ。壁を無理やり崩したこともあり、段差があって駐車する際は毎回大きく車が揺れた。前からあった駐車場はといえば、そちらも駐車場として機能していた。そう、両親は共々車を買ったのだ。それは父と母の休日が合わないから車で買い物に行くにも不便だったからというのもあるのだろうが、それ以外にも母が父の車を嫌ったというのもあった。父の車は大きな四駆が自慢のジムニーで、中には仕事道具(作業着や機材、寝袋)が乱雑に置かれたいた。父は車をある種の生活拠点にもしていたのだ。あるいはその頃から既に父と母との間に不和があったのだろう。ジムニーの中にはいつも何かしらのゴミが散乱しており、綺麗好きな母はそれを嫌った。今でも母は父親の愚痴を零す際に片付けができない奴だったと腐す。

 壁が崩されたといえども完全ではなく、一部適当に残された部分もあり、そこに車をぶつけて傷つけたこともあったように思う。そんな残っていた部分はやがてセメントで補強されたのだけれど、尖った部分を覆う程度も適当な仕事だった。恐らく今もまだ歪なまま存在しているに違いない。一度壊してしまったものは戻らないものだ。防壁が崩れ去った先にあるのは破滅のみだ。

 コンクリートの壁に手を触れ、冷たさに背筋を震わせる。遠くに目を遣り、等間隔に並ぶ光の柱に苛立ちを感じた。「どうしてだろう」