万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

2020年の終わりに

 もうすぐで今年が終わる。これを書き始めた現在は21時11分なのであと3時間弱で今年が終わるということになる。特に感慨深いことはないが、改めて一年を振り返ると後悔ばかりの一年だったように思う。結局新作を公開することは適わなかったし——しかも全然進んでいないのだ!——、私生活でも多忙にかまけて失敗してしまったこともあった。失敗の度に僕はなんて駄目なヤツなんだろうと落ち込み、自殺という単語が頭の中で空転し、憂鬱になった。でも死ぬのはせめて一人暮らしを始めてからにしようと思っているからあと数年は生きてやろうと自殺という考えは頭の隅に追いやった。だけれども最近は頻繁に自分を損なってしまうことを想像し、行動の一歩手前までいくこともあり、危機感を多少は持っている。だから大切なものを増やそうと思った。また大切ではなくとも少なからず執着できるものを近くに置こうと思った。パソコンを買い替えたことも——これは元々使っていたPCが若干不調だったというのもある——そうだし、もう長いこと買っていなかったぬいぐるみも買った。ぬいぐるみはたまに抱いて寝るが、それでも大切には遠く及ばない。PCがもしも壊れてしまえば悲しくなると思うがしかし執着を抱けてはいない。所詮は便利な道具に過ぎないのだから。

 もしかしたら生き物を買えば(飼えば)僕は生きることに執着できるかもしれない。だけど自意識を持たない生き物を縛りつけ、愛玩の快楽に浸ることに、僕はもう疲れていた。昔は犬を飼っていたこともあったけれど、その子のことを可愛いと思いながら一方で世話が面倒だと思っていた。一方的に愛を押し付けることに罪悪感を感じたことはなかったが、時に言うことを聞かない愛犬に憎しみともつかない負の感情を抱くのは辛かった。昔に読んだ小説に飼っていた犬——もしかしたら猫かもしれない——を誤って殺したシーンがあった。その小説の主人公は少年で、たしか犬の頭にスキレットを落とし、殺してしまっていた。どのように隠蔽し、発覚したかはもう覚えてはいないけれど、僕は愛犬を憎らしく思うとき、きまってスキレットに潰されてぐちゃぐちゃになった犬の顔を想像した。そんな想像をしてしまう自分も嫌だった。

 あるいは恋人ができたらいいかもしれない。同じ動物でも種の同じ人ならば僕だってきっと大切に思えるだろう。でも何かを愛するとは結局縛りつけることに他ならないのだから、僕はそのせいでやはり苦痛を覚えてしまうかもしれない。相手が人であるならなおさら、相手の心を裏を必要以上に勘ぐってしまったり、疑いを抱いてしまうことなど容易に想像がつく。そもそも僕は恋人を大切にできるかも怪しいのだ。昔、恋人に対し酷い仕打ちをしてしまったのは今でも悔やむところだ。愛情の有無に拘わらず、"恋人"である以上それに縛られて恋人として振る舞わなければならないことは苦痛だ。それが嫌で僕は相手を傷つけてしまった。僕に恋愛事は向いていない。

 

 尾篭だが僕はセックスをしたことがない。そりゃあ当然のことだ、ろくに恋愛もできていないし、お金をかけてまでセックスしたいとは思わないから。でも思った、セックスすらしていないのに僕はどうして愛なんて語っていたのだろうかと。なんだかとても薄っぺらく感じてしまった。以前拙作の感想を頂いたのだが(【不定期】第三回ノベルゲーム感想日記 『慈愛と祈り』|お風呂かこ|note)そこで「何度も、何人とも身体を重ね合っても一時的には快楽に満足できるでしょうが、直ぐに虚無感が胸の裡に去来する」というセリフへのコメントがあり、共感を示されていた。僕はセックスしたこともないというのに、ましてや他人を強く愛したこともないというのに、大仰に語ってしまったことが酷く恥に思えた。嘘を吐いたつもりはないけれど。

 

  僕は自分でも不器用な人間だとは思う。書籍は紙に拘っているし——心情的に漫画は電子媒体でもいいかなとは思うが——、その他した方がメリットがあることでも個人的に気分が良くないからしない——例えば宣伝、たまにするけどほんとは極力したくない。面倒なヤツだとは自分でも感じるし、実際相手にして凄く疲れるだろうとは思う。僕に笑顔を向けてくれる人だってきっと裏では蔑んでいるのだ、陰口を言っているのだと思ってしまう。ほら、やっぱり面倒だ。僕だって自分のことが嫌いなのだ、でも仕方ないじゃないか、僕は僕でしかいられないのだから。もちろん対応する人に対して仮面を付け替えるよ、それでも滲み出る僕という悪い部分は消し去れない。強力な臭気のようについて回るものだから。

 

 今年の抱負確か、新作を作ることと、「差異と反復」と「存在と無」を読み返すことだったけれど、結局できたのは存在と無を読み返したくらいのものだった。やっぱりサルトルはいいなあ、僕に佳く馴染むので好きです。そして僕は抱負の半分も満たしていないのである。時間はあったはずなのに、していないのは意志薄弱としか言い様がないよね。来年こそは新作を公開したいと考えているのだけれど、それならばこのブログを書かずにシナリオを進めればいいというだけの話だ。それができないからやはり僕は駄目だ、このまま本当に目標を達成できるのだろうか。いい加減疲れた。

 2020の終わりに僕はやはり暗鬱とした気分を抱えているのだった。どうして気分が

晴れないのは稟性がそうなのか、あるいは単純に気分を病みがちだからか。どうすればいいのだろう。