万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

8月の言葉

20220802, Tue

 動くものの気配に蒼惶として飛び去るアブラゼミ。ふらふらとした軌道を目で追い、次はどこの木に留まるのだろうかと、なんとなく考える。人通りの少ない、安心できる場所にたどり着くことは可能なのか、番を得ることはできるのかとどうでもいいことを心配する。生命活動が子孫牽連の道半ばで潰えた、潰れた蝉の死骸を横目に交差点を横切り、五時を回っても遊び回る子供の疳高い声と蝉の鳴き声が綯い交ぜとなった聞こえるだけで暑い夏の歓声を浴び、丸々と実った家庭菜園のトマトやキュウリといった蔬菜を視界の端に捕らえ、汗ばむ背中に張り付くシャツを感じ、配水管から立ち昇る饐えた匂いが広がる陋居へ戻る道程の中、僕は夏を感じ、死にたくなった。

 生きるために働き、生きるために生命活動を止めず、死なないために生きる今の僕はさながらリビングデッド、動く死体。きっと腐った魚のような眼をしているに違いない。昨日は左腕が肘の付け根から腐り落ちる夢を見た。きっと暑いから、腐ってしまったのだ。落ちた腕を僕は慌てて冷蔵庫に入れたのだけれど、やはり冷凍庫に入れるのが正しいのではないかと思って冷蔵庫の扉を開けたらなんと冷えていない。またかと驚く。また、壊れてしまった。常温の庫内の腕は緑色に変色し、なんだかアニメのゾンビの様で現実感がなく、どうして気持ち悪くて扉を閉じた。電気屋にクレームをつけてやろうと番号を叩いているといつまでも繋がらなくて、それが延々に続いて夢から覚めた。この夢は何かを暗示しているのでしょうか。

 

20220804, Thu

 自分はインターネットを今すぐやめるべきだ、そう思っているのだけれどやめられなくて、こうして無意味に無意味な文字の羅列言葉を放流して、沈殿していくのをただ眺め、まるで自慰行為、馬鹿だなと思いながらもやっぱりやめられない。

 キモチイイ、なんてことはなくてむしろ不快感ばかりが募るSNSの画面。人の悪意がどこにでも漂っていて、誤って摂取してしまえば窒息寸前、苦しいよお、苦しいよお、どこに救いは在るのでしょう、どこにもありません。誰かを否定する言葉、またその言葉を発した人を否定する言葉、さらにまた……否定が続く無限地獄(阿鼻地獄ではない)。

 人の悪意の絶点とはまさにインターネットのことだよね、さっさと辞めてしまいたい。

 

20220807, Sun

 人間という生き物は何かを信じていなければ生きることが出来ないのだと思う、例えば宗教、例えばお金、例えば快楽、例えば自分自身の感覚、なんでもいい、とにかく信頼できるものがあればそれでいいのだ、もしも信じることが出来なくなってしまえば狂うか死ぬしか道がない。宗教とか、他人とか信じることができればきっと楽なのだろうけれど、僕にはとてもではないけれど信じることが出来なくて、だってそんなビカビカと眩しくて、鮮やかなものは眩暈を引き起こしてしまう。

 いいや僕は何も信じていないぞ、そんな風に思っている人間もいるかもしれない。この世界に絶望してあらゆる事物に不信感を抱き、許容する余地がない人が。そういった人だって大抵は僅かばかりの希望を探していて、見つからないと叫んではいるけれど漠然と期待しているんだ、偶然や他人の優しさを物欲しそうな眼で見つめて、ほらほらそれが君の本心なんだよ。どれだけ厚い堡塁を築いていたところで小さな穴から外を眺めているのでしょう、光はないのかとぎょろぎょろ眼球を忙しなく動かしているんだ。

 もしも何もかもが信じられなければ、自分自身のこと、その考えや感覚すらをも信用できなくなってしまえば不安に押しつぶされて動けなくなって絶望して、もはや自殺するしかありません、あるいは発狂して白くて角がない部屋で過ごすことになるでしょう。そのどちらの属性も得られない人はどうして生きている? 何を信じている? 「僕は一切を信じない、この世界は無価値で、無意味で、どうしようもなく絶望的だ」といった自分なりの理論の中に生を見いだしていて——それは俗にニヒリズムというものかもしれないけれど——そういった思考でもって虚無と仲良くしようとしている、でもそれって自分の思考を信頼しているから成せる業ではないですか、結句何らかを信じていることに変わりなく、それを認めようとしていないだけである。

 信じられるものがない、そう思っていたとしても気が付かないだけで漠然と何かに信頼を置き生きている。でないと生きられない。もしも本当に何もかもが信じられなくなって、絶望の中で踠いている人は自殺しようとする。何かが少しでも引っ掛かるのならば、それを手放すことができなければ、それこそが君の信じていたものだ。真に絶望して生きられなくなったならば全てを抛つことでしか助からない。

 

20220809, Tue

 時間の感覚が薄い、今も今日は月曜日だと思い込んで、画面の右上に表示されている日付を確認するまで分からなかった。時間なんてものは存在しておらず、日々の出来事や周期があるのみで本質的に時間は都合の良い単位としてあるだけではないのかと思ってしまう。時計が刻む秒や分がまるでそこで時の経過を表しているようだけれど、直接認識することのできないもの——せいぜい知覚できるのは周期的な事物——はどうして存在していると断言できるのでしょう。

 あるはずもないものに翻弄され、自分の行動を規定したくはないのだ。

 

20220811, Thu

 今日は誕生日だった。だからといって特別感はなく、また一つ周期を巡ってしまったのだという無残な気持ちばかりがあった。

 

20220817, Wed

 昨晩投稿した記事に関連して、思い出したことがあった。母の机の上にあった本のこと。題名はあやふやだが9割の人が知らないお金儲けの方法だったかとにかくセンセーショナルな題が付けられた本だったことは確かだ。この手の題名を見るとどうしても嫌悪感が湧き上がってくるのは僕だけだろうか。ネット広告によくあった先着○○名様にお金儲けの方法を教えますとか、月五十万儲ける副業の方法を紹介します!(詳細はプロフに)——本業の月収越えてたらそれはもう副業じゃないだろと毎度思いつつ——といった人を騙してお金を掠め取ろうとするものと同じものを感じてしまう。

 9割の人が知らない、ここだけを見るとどんな凄いことが書いてあるのだろうと思ってしまうかも知れないが、よくよく考えてみると普通のことじゃないかと思う。例えば小使いという言葉の意味、用務員の旧称だが現在では差別用語だということで使われなくなった言葉。先日帰省した際、祖父が小使いさんとある話の拍子に発していたが、9割とまでいかなくとも5割の人は知らないかもしれない。もしくは大学で学ぶような専門的な知識、僕であればペプチド固相合成の方法。これは0.1%の人が知っているかも怪しい。このように多くの人が知らない知識なんて山ほどあって、僕たちが持つ知識はこの世に氾濫する恒河沙な知識の内のほんの僅かで、もはや砂粒一つほどでしかないかもしれないけれど、それが当然の姿。9割の人が知らない知識を得たきゃカンデル神経科学でも読んでいればいいのだ。9月に第六版の邦訳が刊行ですね、楽しみです。

カンデル神経科学 第2版

カンデル神経科学 第2版

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 興味を惹く言葉を大々と載せ、その実中身は情報の少ない間隙と段落と図だらけの厚さ(外見)ばかりが目立つものを有り難かる人間にはなりたくないですね。

 

20220820, Sat

 今月はあまり日記を書いていないなぁ、と記事の編集画面を開いて思う。今日の時点で6/20日しか書いていない。しかし当初の目的の一週間に2回更新は達成できているのでそう気にすることでもないのかも知れない、いやいや、自分で言ったことを反故にするのが嫌であえて小さな数字を書いていたのだからもうすこし書いてもいいんじゃないかしらん、でも僕という人間は怠け癖が酷くて何事も続きやしないからこれくらいがちょうど良いんですよ、適度にさぼれて、適度に進捗を出しているふりが出来るこのくらいが、ええ、ええ、分かっておりますともそれだから少しも成長しない、ただ時間を無為に過ごしているだけだなんてことは、ああ全く駄目な奴だ、こうして反省するふりをして、結局活かすって事ができていないのだから。僕が軽蔑するタイプの人間と変わらないじゃないか。

 

20220823, Tue

 最近文章を書くことが楽しい、特にここ数日で創作意欲が慈愛と祈りを書いていた頃くらいまでやっと戻ってきた。帰宅し、シャワーと食事を終えて少し休息した後は日が変わる時刻まで参考文献を横にキーボードを叩き続けている。つい猫背になってしまい痛む背骨、じっと一つの事物に集中した後の頭の奥の怠さ、蓄積する眼精疲労、全てが愛おしくて止めるタイミングを逸してしまいそうで、困ってしまう。思えば大学院生の頃はまるで創作ができなくて——精神的にも、物理的にも——、二年間抑圧された反動が徐々にやってきたのかもしれない。恐ろしいものですね、抑圧って。

 

20220825, Thu

 見事にコミケに申し込むのを忘れていたのだけれど、順調にいけば新作『ドッペルゲンガーの子供 Prequel』をコミティアに出そうと思う——どれだけ遅くとも年内には必ず。作業的にはシナリオがあと1/4、絵はこれから、UIはブラッシュアップ中でなんとかいけそうだ。ボリューム的には四時間くらいで終わる中編の予定だけれど、今後減るかも知れないし、増えるかもしれない。ともかく当面は作業にかかりきりになると思う。

 そういえばそろそろゲルハルトリヒター展に行きたい。それにリニューアルした国立西洋美術館もまだ行けていないので予定を作りたいですね。どうにも引き篭もりがちなので外に出るのがとても億劫で、人を誘うか、予約チケットを買うか、あるいは企画展の最終日に近くにならないと行かないのはよろしくない。もっと活動的になりたいものです。

 

20220826, Fri

 よく機能を知らないままAffinity Designer を使っている。

 

20220828, Sun

 ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでから、ずっとクライムノベルを書きたいと思っていた。狡猾な犯人が追いつめられる様子を丁寧に描写していきたいと思った。ドッペルゲンガーの子供はそんな僕のクライムノベルを書きたいという欲求を形にしたものとなる。まだ本編は序章だけ書いたに過ぎないけれど、警察と犯人の心理を書いていくのは楽しい。物語は多摩川(神奈川県内)の河川敷である人物の遺体が発見されることから始まる。高原署の刑事である東里は管轄内で自分の元恋人が発見されたことに酷く打ちのめされる。程なくして東京で同一犯によるものと思われる遺体が発見され、合同捜査本部が立ち上げられる。そしてペアとなった警視庁第一課の請西と事件の真相を探っていくという流れになっている。昔から『相棒』が好きだった僕はペア要素も盛り込みたいと思い、こうなっている——もっとも警察の捜査は二人組が基本なのだが。ドッペルゲンガーの子供Prequelはこの前日譚(およそ二年前)の話となる。どこかに存在するかもしれない不幸と運命に翻弄される人間を書きたいと思って形にしているのが本作となる。執筆の終わりの目処が九月中旬につけばコミティアに申し込める、今の自分も未来の自分も頑張ってくれればいいなあ。

 

20220830, Tue

 窓を開けっぱなしにしていたことに気付かず、蚊が部屋に迷い込む。蚊はふらふらと飛び、やがて僕の腕に止まる。こいつは血を吸うのだろうか、なんて当然のことを考え、可愛い奴だなとも思う。そういえば今年はまだ蚊に刺されていなかったなあ、今日くらいは血を分けてもいいかもしれない、たかだか数µLの血なんだ、惜しくもない。腕に止まる蚊を眺めながら、嫌がらせをしてやろうとも思う。叩き潰そうとは思わないが(これでも命を大切にするタイプの人間なのだ!)、少しくらいは罰をあたえてやろう。そう思ってユーカリエッセンシャルオイルを垂らしたディフューザーを起動する。暫くは腕に止まっていた蚊も嫌だったのかあまり腹が膨らまない状態でどこかへ飛び去ってしまった。しまったと思う。可哀想なことをしたとも。……一体僕は何をやっているのだろう。