万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

9月の言葉

20220901, Thu

 急にベケットの『いざ最悪の方へ』を読み直したくなった。表題作はベケットの言語への絶望が感じられて、とても好きなのだ。意味の無限遠の反復、崩壊しかかったエクリチュール、励起する電子のように様々な位相をとる言葉、言語表現の極北に見えた景色はただただ虚無ばかり。もうどうにも言われず、語りえぬことには沈黙しなければならぬとしか書けぬ絶望よ、言葉は消尽せず、しかしその輪郭すらも掴むことは叶わぬのか。

 

20220902, Fri

 ここ最近ベッドが欲しいと切々と思う。というのも僕は使い古されてぺちゃんこになったマットレスを床に直に敷いて寝ているからで、とてもではないが毎度起きるたびに身体が痛むのはかなり辛い。一日の1/4を過ごす場所なのだから多少高いものを買っても費用対効果で見れば安いはずで、でもなかなか購入には踏み切れない。健康被害が出ているわけではないのだからそのままでいいじゃないかと思う自分が居て、ベッドを買ったところで陋居が一層狭い部屋と化すと思うとまあ気が進まない。とはいえ一面の壁を隠す本棚以外に大きな家具の無い家だから空間的には余っているし、ここは大きな家具の一つや二つおいてもいいんじゃないかとも思う。睡眠の質には特に拘りがないので、ソファで寝起きしてもいいのではないかとも思い、ベッドの替わりにソファを買おうとも迷うが、自分がソファでくつろぐ様子を想像できない。椅子は既にあるし、わざわざソファを使うほどでもないんじゃないかなあ。どうせ家に他人を招くこともないだろうし、人一人がそれなりに生きられる空間であればそれでいいんじゃないか、本棚と、広めのデスクさえあればそれ以上に必要なものなんて無いでしょう? いや、立って寝るわけにもいかぬのだから寝る場所は必要だ、それがベッドである必要性ってありますか。君と抱き枕しか寝ないのだからいらないでしょう?

 

20220904, Sun

 今年中のコミティアは無理そうです。見切りをつけるのが早いけれど、急ごしらえで中途半端なモノを出すというのも嫌なので。まあ、イベント出られなくても今年中には新作完成させて頒布したいですね。BOOTHという手段もあることですし。現状シナリオ執筆の段階だけれど、UIはほぼ完成してあとはスクリプトで悩むだけ——ここが鬼門なのだけれども——、絵はまあ未来の僕が頑張るでしょう。外注も考えたけれど、人に頼むのが得意でないのでたぶん自分で描くことになります、ペンタブも新調したしね。あと自己満足のパケ(トールケース)も作りたいしで、まだまだやるべき作業は多くて、時間がいくらあっても足りないのだけれどどうしましょう。シナリオがなぜか予定よりも長くなりそうで、九月中にシナリオが完成するのかも怪しくなってきて、でもモチベはあるのでエタることはないでしょう。というかここまで書いてきて封印するのは嫌です。

 

20220905, Mon

 いんたーねっつに転がっている耳あたりの良い妙諦は大抵偏見の塊で、良いことを言っている風に過ぎなくて、だけどそれを真に受けて称揚している人がなんと多いことでしょう。これはライフハックなんだけれど、ここだけの話、○○が言っていたことだけど、そういった枕詞から始まる140文字の真理はどうしてチープなのにそれらしく聞こえてしまって、だから騙されるのですか? RTするのですか? そういった軽い真理に心動かされて疑いもしない、それはまるで詐欺師に騙されるカモですよ、馬鹿馬鹿しい。もっと自分の意見を持って下さい、考えることを身に付けて下さい、騙そうとしないで下さい。

 

20220909, Fri

 クロテッドクリームが美味しい。最近はタカキベーカリーのホットビスケットと合わせて食べているのだけれど、これがもう美味しくて止められない。暖めたスコーン(ビスケット)、果物のジャム、クロテッドこの組み合わせを考えた人は天才だね。英国に乾杯。

 英国といえばエリザベス二世女王が崩御された。また一つ時代が移り変わることを実感する。陛下については僕が生まれる前から女王であったということくらいしか知識がないのだけれど、何度もテレビで姿を見たことがあったからか妙に印象に残っている。

 誰かの死、時代の終わり。そして新たな時代の幕開け。盛大な閉幕と開幕。

 人生の埒外で蠢く潮流は何を運び、何をもたらすのか。想像もつかないけれど、世界に温度が広がってくれればと思う。

 

20220910, Sat

 読書の愉しみを知ったのは中学の頃、村上春樹1Q84(春)だったが、高校ではドストエフスキーを読み、トルストイを読み、カミュを読み、カフカを読んで育った。日本人作家を国語の教科書に載っていたものしか読んでいないことに気付き、夏目漱石を読み、太宰治を読み、三島由紀夫を読み、大江健三郎を読んだ。一時期ミステリーにハマりモーリスルブランを読み、米澤穂信を読み、似鳥鶏を読み、アガサクリスティを読んだ。大学の頃に奇跡的な出会いを果たした、パスカルキニャール、リュドミラウリツカヤ、アンソニードーア、この三人は存命の作家の中で僕がとりわけ偏愛している作家だ。改めて並べてみると僕の読書遍歴はどうして一世代前のもののように感じてしまう、気のせいだろうか、気のせいか。みんなドストエフスキーが大好きだし、大江健三郎に心打たれているし、ウリツカヤの『緑の天幕』を今年一番の作品だと評しているに違いない。ということでウリツカヤの『緑の天幕』をぜひ読んで下さい。ついでにパステルナークの叙情詩集とドクトルジヴァゴもよろしくお願いします。

 

20220911, Sun

 何かを書く場合、そのほとんどの描写は自分の経験に依拠する。想像力が乏しい僕の場合は特に自分の過去を見つめ、その断片を拾い集めて少し脚本し、再構築している。今日は劇を観に行くシナリオを書いていた、僕が観たことがある劇はそれほど多くないが、戯曲は少し読んでいたのでそれを選ぶ。経験を解体し、精髄を取り出し、組み合わせる。そして一日掛けてたった二千字のシナリオが出来上がる。でも満足度は高い、ここ最近は平均して2,000字/日のペースで書いているのだから十分だろうと言い聞かせる。本来は平日の進みの遅さを補填するために休日はもう少し書くべきなのに。

 ということで? シナリオは11月頭に書き上がる予定です。相も変わらず遅筆なもので。しかし年内にはゲームとして完成させたい。今年の抱負が一作品以上の公開なので。

 

20220914, Wed

 死にたいと思う時、誰かの顔が思い浮かぶこともなく、純粋に自分の存在を厭い、永遠との決別を希う。朝を迎えたくない、このまま朽ち果てたい、そんなことを思いながら暗いディスプレイに頭を垂れ光から目を逸らす。

 これも全て僕の内側に蟲が潜んで居るからなのだ、絶望性の幼虫が。どうして僕が落ち込んでしまうのも、生きたいと思えないのも、その蟲が気力を餌にしているからなのだ、脳からそいつを追い出そうとサイケな音楽を聴き、揺さぶり、刺激するけれど僕の内奥に巣くう螟虫はそんなこと意に介さず繭を形成し、蛹として変化の時を待ち望んでいる。

 一体こいつが孵ったらどうなるのでしょう、僕は全くの虚無の中で自殺することになるでしょう。

 

20220917, Sat

 僕は覚えが悪く、なにをやっても上手くことを進めることが出来ず、かといって向上心もあるわけでもない全く駄目な人間です。人付き合いが苦手で、少し勇気を出してみても結局臆病風に吹かれて引っ込んでしまう弱い人間です。生きることの意味を見出せず、しかし道を探そうと荒地へ歩を進める気もない平坦な人間です。愛というものが分からず、人を好きになることと尊敬することの境目を理解できず、一定の人々が経験しているであろう恋愛というものをまともにしたことのない逸れた人間です。他人の悲しみを理解できない無情な人間です。他人と喜びを共有できない歪んだ人間です。

 窓際、線路、急流、車、そういった日常で誘惑する者たちから目を背け、自分を小さく損なうことで一時の平穏を得、しかし誤魔化しもそろそろ限界だと感じ始めている。どうして苦しいのに生きなければならないのだろう。どうして希望を見いだせないのに前に進まなければならないのだろう。どうして愛を知らなければならないのだろう。どうして人であるのだろう。

 あなたがもしも僕に理解のある方であるのなら——今も地上に視線を注いでいるのなら——どうか教えて下さい、道を示して下さい。あなたがもし悪意のなる存在ならどうして一思いに殺してくれないのでしょう、僕は待ち望んでいるのです、自分の行き着く先を。あなたの属性はもはや関係ない、ただ終わりを、終着点を示して欲しいのです。

 与えられた生命を僕はどこにどのように返却すれば佳いのでしょう?

 

20220920, Tue

 夜の余暇には創作しかしてない、自分がよく分からない、なぜこんなにも打ち込んでいるのか。

 

20220923, Fri

 鯨という生き物にとても思い入れがある。その昔、名古屋港水族館で見上げた鯨の骨格、三重の海に旅行した時に砂浜に打ち上げられていた背骨の一部、小学校の授業で読んだ雲の鯨。僕は何か大きなものを想像する時、鯨の姿と重ねてしまう。それは巨大で、白く、全てを呑み込もうとする。数年前に書いた『慈愛と祈り』にも白鯨が登場するシーンがある。当時はそこまで考えていなかったけれど、思い返してみれば非常に重要な描写で、大きな存在に触れ、信仰に呑まれそうになると捉えることが出来る気がする。無意識の中で僕は鯨を待っている。

 メルヴィルの『白鯨』を読んだ時、同じように鯨を(一般には神と呼ばれる)大きな存在として捉える人がいたことに驚いた覚えがある。しかもメルヴィルの描いた白鯨は世界を創造した悪神、デミウルゴスと重なる。この世界が不完全なのはヤハウェではなくデミウルゴスが創り出した世界だからというグノーシスの思想。当時の僕はグノーシスについて知らなかったが、復讐と狂気の物語の根底に流れる思想は酷く心に馴染んだ。

 今書いている新作にも鯨の描写を書いてしまった。無意識の内に。[Gnosis]の題を冠するパートだからだろうか、それとも僕は鯨について書かずにはいられないのだろうか。

 流れがある。海がある。鯨がある。

 世界に思いを馳せる。一個の有機体としての世界は、巨大な心臓の拍動とともに鳴動している。細部では細胞が震え、マクロな視点では宇宙の中をその大きな尾ビレを動かし泳いでいる。

 

20220925, Sun

 毎年10/1は推しの誕生日なので絵を描いている。昨日、今日とそのために絵を描いていた。そこで気付く、まともに筆を握ったのが一年ぶりだということに。自作絵のフォルダには昨年の推しの絵以外に追加された痕跡がない。戦慄する。僕は一体この一年なにをしていたのか。いや、修論とか書いてましたね。忙しかったのはあるけれど、しかしこうも筆を触らなきゃ腕が鈍ってしまう。こういう所が駄目なんだよ、僕という奴は。

 そもそもペンタブを買い替えたのは今後画く予定の新作のスチルのためでもあるのだが、シナリオも書き終えていない時点で買ったのは推しの絵を描くためでもあった。実際に描いてみて、それなりの絵が出来上がった。ユウちゃんのためだからと毎度毎度一筆入魂しているから時間が掛かる代わりに質が上がるが、去年の絵柄とこれがまた似ていない。お前毎年絵柄変わってんな、と自分でも思う。でも基本的にべたべたと色を重ねる厚塗りしか出来ないものだから塗り方自体は変わってないし、相も変わらず下書きはすれど線画なんてものは描いていない。

 厚塗りの良い所は線がぐにゃぐにゃになる絵の下手な僕のような人でも関係なく絵を描けるところにある。色を何回も、納得のいくまで重ねて、はみ出た部分を消しゴムで削って、また色を重ねるの反復作業。これが苦じゃなければ綺麗な線が引けずとも絵が描ける。代わりにエネルギーを酷く消耗するから毎日はやってられない。てかその前に腱鞘炎になる。

 ともかく、絵は描けたので(まだ修正するが)今年も無事に推しを祝えます。良かった良かった。

 

20220929, Thu

 スプラトゥーン3がやりたいです。そもそもswitchを持っていないのでできないのですが。