万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

事実は人を変えられない

 実家に帰省した。母がマルチ商法にハマっていた。愚かだね。彼女に私を助けると思って保険に入らないかと勧められ、拒絶すると憤られたんだ。月4,000円だからいいじゃないかと。何を言っているのだろう。どうやら一人勧誘すると2,000円が初回で貰えるようになり、その後一名加入毎に250円の報酬があるらしい。彼女は本気でこんなことで稼げると思っておりマルチのセミナーにすら通っている。ああ、まるで論理的な考えが出来ていないね。そのセミナーに通う交通費、会費、食費を度外視し、未来の投資だと考え、自分なら多くの人を勧誘して儲けることが出来ると皮算用をしている。このままでは稼ぐどころか資産をドブに捨てているだけではありませんか。

 僕が辞めるべきだと言えば「じゃあ私を養ってくれるの!」と不機嫌になり手がつけられない。どれだけ丁寧にマルチの手口や儲からない理由を述べたとしても彼女は理解することを拒み、これはまるで宗教だね。自分の信じられる事柄しか事実でなくて、明晰な現実を彼女は見ようとしない。客観的な視点を持っていない。

 以前からよく分からない先生の講義に通い、スピリチュアルな(パワーストーンやソウルカラーとかだったかしら)事物に意味を見出し、酵素ドリンクなどという似非健康法に依存する彼女であるからこうなることはある程度想定していたよ、マルチに嵌ったことを知ってやはりこうなるのかと思った、でも自分の肉親がこうやって社会に騙されて壊されていくのを見るのは辛いものがあるね。彼女のことを救いたいとはあまり思えないし、破滅した所で自業自得なのだけれど、しかし血を分けている以上僕には彼女のことを扶助する義務があるわけで、捨てようとも捨てられないのはもはや血の呪いだね(少なくとも日本の法律上で親子の縁を完全に断ち切ることはできない)。僕はだから血縁というのが好きではないんだよ。あの血が僕の中に流れていて、彼女の教育の元で育てられたのだと思うと少し複雑な気分だね。父もまた褒められた人ではなかったわけで、彼は家族と自分の幸せを天秤にかけて自分の幸せを優先して求めてしまうような人だったし、自分の幸福の追求に伴う(金銭的な)責任を取ることすらまともに行えなかった。子供には常に幸せになるためにはどうすればよいのかと説法しておいてそれですか。結局個人的な幸せさえ求めればあとは捨ててしまって構わないと。斯くして僕は少し壊れた両親の元で育って、考え方を植え付けられ、矯正され、強制されていたわけだ、でもまあそんなことどうでも良いよね。

 結句、今の自分が自身を含めた周囲の環境を客観視できるのかが肝要なのです。

 情報は人を救うことが出来るし、だからこそ情報は人を壊すことが出来る。救うものは壊すもので、それは毒と薬は表裏一体というパルマコンの考えにも通じるものがあるし、オィディウスの[Medea]にあるServare potui, perdere an possim rogas ? と共鳴していると思うね。

 人は自分が信じたい出来事をあって欲しいと強く願うもので、だから現実は理想と乖離しているととても苦しくなってしまう。この苦痛を和らげるために摂取する妄想や逃避は一時こそ現実から眼を逸らさせてくれるけれど度が過ぎれば毒として回ってしまう。オピオイド系鎮痛薬のようにね。でも止めることができなくて、常に摂取し続けなければならなくて、理想と現実が反転して、理想を前提として現実を求めてしまうようになるのだね。カルタゴ農法が思想ありきで現実を不可能な理想に近づけようとしたために失敗したように、事実は必ずしも人を説得する力を持たず、より魅力的な嘘を真実としてしまいがちで、それでは自分を救うことなんて出来ず頽落してしまうから今こそ一歩立ち戻って鳥瞰して欲しいのだけれどそれが中々どうして難しい。目の前にぶら下げられた精巧な贋物のニンジンを幻影だと一蹴し、遠く見える小さな届くかも分からない田畑へ向かうことなんてだなんて誰が出来よう、その田畑にニンジンがあるとは断定出来ない上、いつだって目の前にはニンジンがぶら下がっているんだよ。それは酷く美味しそうで、飢えた者からすればどうしても得たくて、多少追いかけて手に入れられないことが理解できたところでもう少しでと思ってしまう。そのもう少しを繰り返して、繰り返して、ふとした瞬間立ち止まって周りを見回すとあのあったはずの田畑が見えなくなっている。その時になって初めて自分が間違っていたと気付き、嘆くけれどももう届かない、だから直ぐそこにある幸せを求めて躍起になって、いつに日にか私はそれを手に入れるんだと、もう直ぐだから、もう直ぐだからねと自分に言い聞かせて、疲弊と飢餓で回らなくなった頭はとにかく眩しい理想を求めるしかなくなってしまう。悲しいけれど僕たちは愚かな生き物、リスクを恐れ手の届きそうな報酬を考えなしに求めてしまう。

 相手が理想に囚われている限り事実は無力だ、人を変えられない。