20250901, Mon
月が変われど一向に陽の熱さは衰えず——とは言いつつ少しばかり前に素風が顔を覗かせたような過ごしやすい日もあったが——、耐える気にもならないので室内では常にエアコンを唸らせている。季節といえば秋刀魚の初物が並び始めたし、秋口はもうすぐそこにあるとは思っているけれども、例年を思えばそんな秋という季節も涼やかな日を一週間も感じる程度のあったかどうかも分からぬくらいで消えてしまうのだろうなと既に哀しい気持ちになっている。全く僕は風情がないね。
まあ秋だからと特別することもないし、現に僕は夏だからと特別夏らしいこともしていなかった——個人的に夏といえば水遊びだがここ幾年はまったく接点がない。季節を重んじて何かしたいなあとは常々思ってはいるけれど、結局出不精な精神が身体を否応なく室内に括り付け、少しだってわざわざ外へ遊びに行こうなど、行動に移そうなどとは思えやしないのだ。こんな日陰に潜む蛞蝓のような生活は嫌だと思うがそれでも身体が動かない。夏季休暇にいざ外に出ようと思ったはいいけれども全く目的が思い浮かばずに折角着替えた外出着を一歩も外に出ず着替え直したことは自分ながらに愚かしい思い出である。
心が渇いている。栄養が足りない、水が足りない。だから何かをしたいと思うが、何をしたいのかが分からない。行動が、行動に移すまでのほんの少しの行為そのものが億劫で、だから個々数ヶ月は日記も滞っていたのだろう。忙しさにかまけてしたいと思ったことをしないことの罪深さ。いつも、いつまでもこの調子では駄目だと思っているから、少しでも変わりたい、変えたいと思い、でもそれも思うままに終わってしまうのかもしれないと既に諦念している僕は一体どこまで怠惰なのでしょうか。
秋だから、秋になるのだから、そういった季節の変化をただ茫然と眺めるのではなく、何かをしたい、すべきなのだと思う。まだまだその何かは思い浮かばないけれども、まあ○○の秋といった言葉もあることだしまだ出来ることの読書でもしようかしら。でもそれだと家に引き篭もっていることには変わりないので、何かもう少し捻って、例えば喫茶店などに行って、季節のタルトか何かでも口にしながら楽しむのは如何でしょう。なんだか佳い思いつきな気がする。近く——といっても数キロ先——に名前は知っているけれど一度も赴いたことのない喫茶店があるし、今秋中に行ってみるもの悪くない。せっかく江川訳カラマーゾフを買い求めたのだから、それを肴にしようではないか。ああ、いいなあ、それがいいなあ。何かがあるって佳いものだ、まあそれを実行に移せるかが一番の問題なのだけれどね。
20250902, Tue
今年何度目か分からぬ身体の怠さと咽喉の痛み、それに軽い発熱があり、年を経る程に身体が弱っているのだろうと実感している。年なのかなあ、年なのかもしれない。まだそんなに年を重ねていないはずなのだけれど、こうも身体を壊しやすくなっていることに身体の衰えを感じずにはいられない。まあ身体を鍛えているわけではないし、健康に気を遣うこともほとんどないのだけれど、まだ若木のように青々しかった頃は今にもまして自分に無頓着だったにもかかわらずほとんど病に罹らなかったのだから少なからず免疫系の力は落ちていっているのだろうね。20歳が免疫のピークだとも聞くし。これから生きていくと更に身体が苛まれるのだと思うとやっていられないとも感じられるが、そうして自分が頽廃していく様を眺めることもまた人生の妙というやつなのでしょう、いやはやこんなものやってられないね。すっぱり、きっぱり、止めてしまいたいね。
20250903, Wed
咳と発熱が酷い。
20250904, Thu
まあまあ体調は回復したけれどもまだ熱は巣くうように身体の奥でとぐろを巻いている。苦しいと思いながら、熱いと思いながら、怠いと思いながら、どうしてこんな目に遭っているのだろうかと対象も定かでもないのに恨み言を吐きたくなる。この脆弱な肉の殻を早く捨て去りたいと思ってしまう。それってでも死ぬということではなくて、もっと別の概念で、僕は、ああ、思惟になりたいのだ。言葉になって、詩になって、そして何もかも忘れ去って、忘れられて、消えてしまいたい。脳と頭蓋骨の僅か数ミリの隙間に広がる無限の虚無に身を委ねるように。
20250906, Sat
今日は前々(3年くらい前)から行ってみたいと思っていた喫茶店に行ってきた。家からは6キロ程先にあるから中々足が伸びなかったけれども、今月の初めに行きたいと書いたのだから多少面倒でもと思ってやっとのことで向かった。先の文章では季節のタルトでも食べたいと書いていたけれども——今はシャインマスカットのタルトだった——、その実僕は葡萄はあまり好みではなかったので目に付いた桃のコンポートを頼んだ——桃は果物の中では好きな部類に入る。期待していなかった訳ではないが想像以上に美味だった。煮込まれとろとろになった果肉が口の中で融け、舌に残る余韻を紅茶で流すことの悦びといったらもう。また行きたいと思うけれども、はてさて出不精の僕は次にいつ足を向けるのだろうね。
20250908, Mon
昨日、コミティアに行ってきた(昨日のことを今日書いているのは帰宅後すっかり疲れて寝入ってしまったからだ)。なんだかんだで二回に一回は一般参加しているイベントで、毎度のことながら気になっているサークルに伺って、あとはぶらぶらと宛てなく通路の間を行き来する。ジャンルも特に気にせず、あちらこちらと歩いて、同じ通路も何度か巡ったりして、ふと目に付いた作品をこれも何かの縁だからと手に取る。すると思いがけなく琴線に触れるような作品に出会うことがままあって、それは評論系かもしれないし、漫画かもしれないし、イラストや写真集かもしれないし、あるいは造型物かもしれないけれど、いずれにしろ鮮烈な邂逅があるものだ。もう何年も前になるけれど一目みて気に入った原画を買い求めて、それは今も部屋に飾っていたりする。
今回のコミティアでもそのような出会いがあって——切掛けこそ目に留まったではなく声を掛けられたからだったのだけれど——、それは夏をテーマにした叙情的なイラスト集だった。これだから散策はやめられないと思いつつ、また次かその次のコミティアにも行こうと思ったのだった。
話は変わるのだけれど、僕の使っているバッグを見て声を掛けられることが何度もあった。まあちょっとばかし特徴的なものを使っている自覚はあるけれど話しかけられるほどとは思ってなくてその度にちょっと萎縮していた。イカの形をしているだけなんだけどね。
20250910, Wed
ふるさと納税という制度を蛇蝎のごとく嫌っている。返礼品につられて、特に思い入れの無い地域に納税をし、自分の住んでいる地域のことをまるで顧みない行為はどうして称揚できるものか。本来ならば福祉に回されるはずの予算を自らの意志で不意にして、それはどうして自分を傷つけようとしている様にしか見えないね、自分で自分の首を、真綿でゆっくりと絞めているみたいだよ。
20250912, Fri
これまでの人生で衣服にさほど興味を抱いてこなかったから、一枚で3万もするシャツがあることに慄いてしまう。その価格帯のものが割合高級路線のブランド物であるとしても、ユニクロのような低価格な衣服に慣れきった僕には異次元のものとすら思える。駅に併設されているLUMINEに寄って、適当に歩いてtomorrow landなる店を眺めたらブルゾンが一着8万だとか、パンツが4万であったりと見慣れない値段をしており、いやあ恐ろしいまであるね。とはいえ低価格帯の衣服だろうがそもそも衣服というものは高いという感覚があるのだから僕にはどこまでも庶民感覚に浸っている。まあ庶民ですけどね。
20250914,Sun
久々に上野まで赴いて国立西洋美術館に行ってきた。企画展の素描コレクションは素晴らしく、特にカラッチの〈頭を反らし目を閉じた 仰向けの若い男性の裸体習作〉が印象に深く残っている。この赤チョークでの素描は男体のしなやかな筋肉や張りでた肋骨(に貼り付く皮膚)が柔らかく描かれ、構図も相まってか酷く蠱惑的ですらあった。
常設展の方も見て回ったけれどもやはり僕は印象派が好きだなと改めて感じていた。ルノワールにモネやマネはいつ観ても美しいと感じる。ピカソの小規模な企画展もやっていたけれど僕はあまりキュビズムは好きじゃないなあ、後身というか影響を受けているロシア構成主義は好きなのだけれどね。
美術館の後は高輪ゲートウェイに初めて行ってみた。どうやらつい先日大型商業施設がオープンしたらしく随分と盛況で、いやあ人間の多いことといったら。人酔いしてしまいそうになりながらもマーガレットハウエルのカフェに行って、前々から食してみたかったスコーンを頂いた。家でも散々作っているけれど、店のものはやはり違うなあ、自分でももっと美味しいものを作りたいとは思っているけれど、何を変えれば佳いものか。そもそも使っている粉が違うのは分かっているけれど他にもバターの分量だとか、卵の有無(卵黄のみか全卵かも含む)、牛乳を使うのか生クリームなのか等多くのことをを検討しないとなあ。菓子作りってつくづく実験的なものだと思う。消費できないから対象実験をするにも大変。
まあ総じて久々に有意義な休日を送れたような気がする、大分疲れたけれど。
20250918, Thu
先日よりまたぎっくり腰になったため痛みに悶えている。座ることがままならず、身体を横たえなければならない——比較的安静な姿勢でも身じろぎで痛みが走る——ことは精神的にも疲弊する。ここ最近は身体の不調が多くてまったく参ってしまう。何も出来ない。
202509019, Fri
母親から祖父の認知症が進んでいると連絡があった。運動能力も著しく低下し、階段を上ることが困難で、今はもうほとんど寝てばかりだと。万が一のことがあったらと伝えたかったようで、その時には彼らの住まいを処分するらしい。だからその前に家に置いてある私物を処分されたくなければ取りに来なさいと。
それほど置いてある物があるわけではないけれど、少なからず私物が置いたままに成っているわけで、それを廃棄するのかあるいは二束三文で売られるくらいならば荷物を取りに行くべきなのだろう。しかし酷く億劫で、それは血族に会いたい気持ちがほとんどないからだった。
正直なところもはや僕にとって祖父のことはどうでもよいと思っているし、母親も同様で、それどころか密やかに嫌ってすらいる。青年期の頃に彼らが僕を拉致してあの家に連れていったことは——それがなければ今の僕が形成されていなかったとしても——今でも恨みに似た思いを抱いている。故に僕が彼らを心から信頼することは今後一生無く、心を開くことも無いだろう。多少の情はあるけれども、顔を合わせて幾つかの言葉を交わす以上のことはしたくもない。
そのようなことを書いていると僕は自分が卑小だと思うけれど、どうしても解消されない蟠りだから仕方のないことだろう? でもせめて何かがある前に顔くらいは見せに行っても佳いのかもしれない。もしかしたら最近の記憶も飛んでおり、それこそ僕を連れ去った時の頃に戻っているかもしれないけれども。だとしたら僕はどのような顔をして行けば佳いのだろう。
20250923, Tue
大分腰の状態が良くなって、痛みはほとんど感じなくなった。起き上がる時はどうしても痛いけれど、それでも寝返りをうつだけで酷く痛んだ頃からすれば随分と改善した。とはいえ調子に乗って負荷がかかることをしたらまた再発するんだろうなあという予感はひしひしとしており、まだまだ労ろうかとは思う。
しかしなんだろうね、特にここ一年は身体の不調が目立ってきている。昔はこうでなかったのになあと思うけれど、これも寄る年波というなつなのかなあ。しかしまだ僕は若い方だとは思っている、若いよね? まあ人によっては叔父様になる頃合いだから特別若いというわけではないのは分かっているけれど、まだ大丈夫だと、無理を多少は許容できる身体だと思い込みたいのだ。