万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

このブログについて

筆先より流れ出ますは遅効性の神経毒、痛みを蝕す言葉をお送りいたします。

 

 サークルブログっていう意識はないのだけれど、一応『万年筆と神経毒』というヴィジュアルノベル制作サークルの中の人のブログ。サークルとは言っても構成人数は一人のいわゆる個人サークルなので、このブログも必然的に個人的なブログの側面が大きい。

 個人的なブログであるから、ここに書くのほとんどは創作に関係なく、だから作品の進捗状況だとかはあまり出せない。

 

何かありましたら以下の連絡先まで。

 mizuha.kannazuki■gmail.com(■を@に変更して下さい)

 

依頼についてはCommission頁を参照のこと。

Commission - 万年筆と神経毒

 

 以下拙作についてのまとめ(ヴィジュアルノベル)。

 

 今までに作った作品

・『贖罪と命』

生きる意味を見失った青年の手記。死へと近付くことで生の意味を問い直す。

 

・『慈愛と祈り』

『贖罪と命』のスピンオフ作品(なぜかボリュームは3倍ある)。愛、信仰、生きる意味、そういったことを凶悪事件の遺児である主人公が問いかける。

※『贖罪と命』も同梱しております。

慈愛と祈り - 万年筆と神経毒 - BOOTH

 

 

 制作中 ※適宜追記します

・『Child of Doppelgänger』(ドッペルゲンガーの子供)

 4部構成の物語。言葉、記憶、神、愛をテーマに据え、人々の繋がりを描く作品。本編はサスペンスに分類されると思う(ミステリー要素も有り)

前日譚

/Prequel [Gnosis] グノーシス C102にて頒布

 運命に翻弄される姉妹。偏在するありふれた不幸と幸福。

 ※Prequelと本編は繋がりこそありますが、物語としての精髄は全く別のものとなります。いうなればグノーシス文書と聖書ほどの違いです。Prequel単体で一つの物語として完結していますし、今後開発する本編はPrequelを知っていると味わい深くなるような構造となります。

DL版:

Child of Doppelgänger-Prequel- DL版 - 万年筆と神経毒 - BOOTH

 

本編

/第一部 [A Way to Dissappear its Existence] その存在の消し方

 多摩川で発見された水死体、それはかつて失踪した恋人のものだった。首元に奇妙な痕跡が残された遺体と連続する殺人事件を巡って哀れな男が奔走します。

/第二部 [Delayed Echolalia] 遅延性エコラリア

 語られるは5年前から続く因縁、暴かれるは事件の真相、誰も幸せにはなれません。

/第三部 A√[Godisnowhere] ■■■■

    B√[The Silent Crossing of Loves] 逢瀬

/第四部 [Imago]イマーゴ

 

20230811追記

『Child of Doppelgänger -Prequel-』

2023年夏コミにてパッケージ版頒布。中編作品です。

DL版を出すかは未定、僕に余裕があればやるかもしれません。まあコミケでの捌け具合によります。

20230903追記

先日、DL版用意致しました。

 

・『FRAGILEs』

 7+1の物語からなる、実存的断章群像劇。ある家族の終わり、あるいはある少女の始まり。現在執筆停止。

 

・『Jeux bleu』 青い戯れ

 人型のスライムって概念あるじゃないですか、あれって人を捕食したスライムが被食者の細胞から自分を複製した際に生まれるものだと思うんですね。ウイルスが細胞内で増殖するみたいに、別の生物の細胞を奪うことでしか自己複製ができない。でもまれに遺伝子情報が誤ったまま、変異が残ったままに増殖してしまうスライムがいる、本来は姿かたちを持たぬゾル状の生物だというのに。それが人型スライム。そんなファンタジーなお話を妄想したやつ。書くかは分からないし、書いたとしても短編です。

 C103で出す予定。三人称の1hくらいのお話になるかと。今までの作風とは大分異なると思います。

 

二月と言葉

20240204, Sun

 一年の1/12が過ぎてしまったという事実に戦慄するとともに、過ぎ去った時間の内にどのようなことがあったのかをぼんやりとしか思い出せないことに愕然とする。昨日のことも、一昨日のことも、はっきりとはせずこのままだらしなく過ごしていたら退化してしまいそうだ。だから一日一日を言葉に残したいと考えているのにこうして今月を言葉にするのはもう四日目になってから。今日はJeuxbleuの体験版範囲をプレイして違和感を探りながらシナリオの展開について考えていた。このまま書いていて佳いのだろうか、面白く感じられるだろうか、いつだって自分の文章には不安が付き纏う。自信の無さは何が理由なのだろう、分からない。不確かだ。

 話は変わるけれど僕にとって料理は実験に似ている。特定の料理を作りたければまずレシピを探すと思うのだけれどこれは論文探しににているよね。今日はPodvarakとProjaを作った、約二ヶ月前に仕込んでいたキセリクプスが完成したから。どちらの料理も始めて作るものだったからレシピを探していたのだけれど、やはり外国の料理というのもあってか日本語のレシピが少なく(あるにはあったが一つ二つだけ)比較できないので信頼に欠ける。仕方ないので機械翻訳を駆使しながら外国語のレシピを参照して、共通する材料、異なる部分を探し、実現可能なレシピ(条件)を組み立てる。なんとかできたレシピを元に実際に料理して、味に不満があればレシピを組み直す。実験だって目的とする成果が得られなければ条件を検討し直すから。ほら、似ている。

 

20240205, Mon

 真木悠介「自我の起源」を再読している。初出は1993年と僕が生まれる前の著作なのよねと思いつつ、最初の方頁から春と修羅からの引用があって氏は宮沢賢治好きよねと思ったり。

 

20230209, Fri

 自サークルのマークを作り直したい(ブラッシュアップしたい)と考えてはいるけれど、結局手が回らずまあこのままでもいいかとも思っている。それなりにデザインには満足しているが、もう少し捻りたいし詰めが甘い部分が多々あるのでそこは直したい。ちなみに何度か言及しているのだけれど、あのマークはVolokhonsky夫妻訳の罪と罰の表紙にインスピレーションを受けて作っている。うっとりするよね、このデザイン。本自体も非常に優れた訳なので罪と罰の英訳が読みたい方はこちらを是非読んで欲しいところ。

 

20240214, Wed

 先日(といっても一週間以上前)拙作[贖罪と命]、[慈愛と祈り]の配信を終了した。以前より配信を終えようとは思っていたのだけれど、機を逃していた。慈愛と祈りは数年前に一時期配信を一時停止していて、再会してからちょうど二年が経った。この二年を節目に止めた訳です。クオリティに不満があったというのが最も大きな理由ではある、当時はまだゲームの形に押し込めることに精一杯でだからあのような視覚的な美しさが欠損した作品となってしまっていた。所詮個人が手慰みに作っていたものであったからそこまでクオリティに頓着していたわけではなかった、でも今の自分から見たら堪え難かった。せめてUIはなんとかしたいし、フォントもまるで考えられていない。絵はまあそこまで重要ではないが——少なくともあの二作品においては——、音楽回りのクラシック統一はもう少し考えようがあっただろう。改善できる部分は数多くある。とはいえクオリティへの不満だけで配信終了したわけでもないのですが。

 以前停止した時はある匿名の人物から少し攻撃的なことを言われて気を病んでしまったからだったのだけれど、今回は一時的な停止ではないし外的で直接的な要因があったわけでもない。単にもういいかなと思った。DLも別に多くはなかった、CoDPを出して若干増えたけれど言及されるわけでもなかった、そしてこのように気にしてしまう自分がなによりも厭だった。せめて、と思う。せめて気にするくらいならもう少し佳いものにしておきたいと思った。まだまったく手を付けることが出来ていないのだけれど、別のゲームエンジンでリメイクを考えてはいる。UIの刷新やら何やらも含めて、文章にも多少手を加えるだろう。自分の我が侭で申し訳ないと思うがひとまずあの二作は世から姿を消しました、またお目見え出来るときがあればその時に。

 

20240218, Sun

 割合僕は面倒なことが好きなのだと思う、手間暇を惜しみがちなことでもどうして労力も時間も注いでしまいがちだ。

 この土日はデスクのクリーニングをした、無垢剤のオイル仕上げのものを使っているから天板を紙やすりで均し、オイルを塗り込んだ。床に残っている汚れが気になり佳く絞った布で何度もこすった。週課となっているスコーンも作った。料理はしかし多少手を抜いて簡単なものにした(ロマネスコのポタージュと余っていたポドヴァラックのガレット)。空いた時間に新作のシナリオを練り直し、文字を打っては消す作業、面倒だと思うが何もやらない時間というのも惜しい。再読して気になった箇所を修正して遅々として進まない。参考文献を読みつつ改稿すべき箇所を考える。時間は消えるように過ぎ、すっかり日が没してしまった。忘れていた革靴のメンテナンスをし終え、シャワーを浴び、髪を切った。真夜中になり腰を落ち着けて執筆を始める。文字を書き、細かい描写に気を配る内に僕は面倒なことが好きなのだろうと思った。いや、面倒が好きというよりも自分でコントロールしたいのだろう、思い通りに行かないと気が済まないのだろう、我が侭なのだろう。

 

20240221, Wed

 C104に申し込んだ。受かれば新作Jeux bleuを出すことになると思う。出せるように制作を進めていけたらと思う。制作が順調に進めばドッペルゲンガー関連で小冊子を用意したいけれどどうなるでしょうね。あと予備でとっておいたChild of Doppelgänger-Prequel-のパッケージも若干数だけど持っていくつもりだ。受かると良いのだけれど。

 

20240226, Mon

 時期がやってきましたね、花粉症の。先日の暖かい日に一斉に花粉が飛んだのか今日は目が痒く、鼻水が止まらず、熱っぽくて頭が回らなかった。辛い。何にも手が付かなくて、画面を見つめているのも眼球の奥にじわりと痛みが伴う。こめかみの付近から伝う頭痛、熱を持った額と鼻先、身体全体が重く病気になったかのようだ。症状が年々酷くなっている気がする、なんとかならないものでしょうか。薬を飲んでも対して効かないのはどうしてか、身体に合っていないから、それとも別の理由が? でも幾つもの種類を試すほどの気力も奪われてしまっている。ここから数ヶ月身体が常に悲鳴を上げるのを我慢しながら過ごさなくてはならないと思うと今から憂鬱だ、生き地獄というやつだねこれは、まったくどうしてこんなシステムが身体にあるのでしょう。必要だから、そうだね免疫系が機能していることは素晴らしいよ、でも過剰過ぎるんだよ。

一月と言葉

20240103, Wed

 年をまたぎ、数日が経った。早々に地震や航空機事故といった災難が起こりめでたさなんてまるでない。夜の帳のようで暗澹たる気鬱さがうっすらと漂っているようだ。誰かが言う、新年早々にこれでは幸先が悪いと。しかし日にちなど関係なく、ただそれは摂理に基づいてまるであらかじめ定められていたかのように起こるのだから、起こってしまった事実を粛々と受け入れるしかないのです。そこに幸も災もありません。そもそも僕たちは弱い肉体を持つ存在で、自然現象をコントロールする手だてなど持たぬのだから。……悲しいことです、実に悲しい。僕たちは弱い、どうしようもなくか弱く簡単に潰されてしまう。命が簡単に失われる。

 この文章を書いている僕は此度の地震とは遠く離れている内地におり、画面の向こう側の出来事としてでしか被害を知れていない、とても安全な場所から今も命を脅かされ不安の只中にある人々のことを考えている。罪深いと思う、それはどうしたって安心を覚えてしまう行為だから。それでも考えずにはいられない、苦しい。せめて一刻でも早くこの厄災から恢復できるよう願っている。願わせて下さい。

 

20240106, Sat

 一度は目にしたことがある言説の一つに「作者は自分より頭の良い人物を描けない」があると思うのだけれど、これについて僕はおおむね同意していて、だから僕自身は頭が良い設定のキャラクターを描かないし、描けないと思っている。……まあ頭が良いということがなんなのかはちゃんと定義すべきではあるのだけれど。ここでは知識の豊かさではなく、知識を繋げ知恵とする力としておきます。

 とはいえ表に出していないだけで設定ではある程度頭の善し悪しというか、最終学歴程度は一応決めていて、たとえばChild of Doppelgänger-Prequel-では主人公の柊理香子は公立高校卒、その母である柊翠は遺伝学専攻の理学博士としていたりする。まああくまで作者の脳内設定のようなものです。

 設定といえばそれぞれのキャラクターに生年月日も一応決めている、理香子が1993/09/08で、くるみが2001/07/16で日付にはそれぞれ意味が込められていたりする。ここらへんはもう作者の偏執的な部分ですね。恐らく作中で明示することはないでしょう。閑話休題

 作者が描ける限界は作者の脳内で規定されうるので、これを越えることは出来ず、故に登場人物の持つ知恵の限界も作者の限界と一致してしまう。逆に下限もあるのだろうね、僕たちは自分の考えからある一定の範囲しか泳ぐことしか出来ない。せめてこの限界を曖昧に表現したくてだから僕は他人の語りを好み、それを真似て文章を形作ろうとしているのだね——とはいえ僕の描くキャラクターの語りはどうしても敬愛するドストエフスキーを始めとしたロシア文学の影響を酷く受けているのですが。

 結句、何が言いたいのかといえば今読んでいる『大阪の生活史』がとても面白いということです。多くの人々が紡ぐそれぞれの語りからしか得られぬ栄養があるのです。

 

20240110, Wed

 最近何かと話題に上るAI生成だけれど、僕は基本的にそれらを忌み嫌っている。なんというか受け付けない。DlsiteのAI生成作品も多過ぎて厭になっている。

 

20240114, Sun

 このはてなブログしかりBoothしかりでjeuxdeauという文字をサブドメインに使っている理由は単にラヴェルが好きで彼のJeux d'eau(水の戯れ)を元にしているというのもあるのだけれどそれだけでなくて、Jeux d'eauの英訳の一つがThe Fountainだからなのだよね。ご存知の通り僕のサークル名は万年筆と神経毒で、英語ではFountain Pen and Neurotoxinと書いている。このFountainに繋がりにあやかってjeuxdeauをサブドメインにしたわけです。適当に付けたのではなくて、少なからず理由があったのですね。

 

20240118, Thu

 新作の完成を夏コミを目標に先延ばしにしたのでここ最近はシナリオのブラッシュアップと追加をしている。当初は一時間弱で終わるような長さの予定だったのだけれど図らずとも制作期間が伸びてしまったのでもう少し長くなると思う。二時間いくかな、いかないかな、まあ僕が書けるかどうかです。C103で公開した部分に手を加えるかは微妙なところ、まあ既に細かい部分の文章は弄っているのだけどね、でも大きく変更するつもりは今のところないかなあ、そんなことをしたら多分完成に辿り着けない。スィニヤの設定はわりかし佳いと思っているので(細かい部分はまだ曖昧だけど)そこらへんを大きく変更することはないだろう。今作もだけどやはり僕はプロットなんてろくに書いておらずほとんど頭の中で糸を紡ぐようにして文章を編んでいる、次に載せるのは僕がプロットと称する何か

1.息が苦しい所から始まる。どうしてこうなったのか、何が起こったのか。ヴェーラに助けられる。

ヴェーラについて。水魔とは。

私はそれを何かが人の姿に化けているものだと分かっていたのだけれど、またヴェーラに会えたことが嬉しくて逃げたいとは思えなかった。

この数行のメモ書きのようなものからChapter1(5000字)を書いたのだね、僕の文章があまり起伏がなくストーリーが弱いのは展開について思いを巡らすことが少ないからなのかなあ。まあそういった弱点をもう少し克服できるように新作を書いていきたいですね、そのための実験作ですから。

 ああそういえば、ここで書くものなんですがちょこちょこDL版が売れてくれたおかげでChild of Doppelgänger-Prequel-の外注費をまかなうことができました、本当にありがとうございます。パッケージ版は価格設定を何も考えていなかったのもあってパッケージ製作費をまかなうのに一杯だったので助かりました(BOOTHで販売した分にいたっては手数料を加味してなかったのは愚かでした)。

 

20240121, Sun

 昨日と今日でタイトル回りのUIを詰めていた。タイトルのロゴもちょっと弄って柔らい雰囲気にしてみたのだけれどどうだろうね、僕としてはまあ及第点かなと思っている。UI関係についてはバックログとかその他諸々をブラッシュアップするつもりだけれど僕にはあまりセンスというものがないからなあ、まあなんとかやってみるでしょう。

 UIに逃げていないでそろそろシナリオの執筆に本腰を入れたい。

 

20240127, Sat

 別に忙しいという訳ではないのだけれど、ここ最近はブログの方に意識を向けていなかった。今はUIのブラッシュアップに注力していてほぼほぼ詰め切ったかな、どうしてもスイススタイルから脱却できないのでもうこの方向性に舵を切った、平坦だけどわりかし佳いデザインになったかしら、Xに暫定的なものをアップしたけど青いね、色合いが。タイトルからして青系統の色で統一しようとは思っていたけれどかなり紺碧のような青になってしまった。ドッペルゲンガーの方もアクセントに青を使っていたけれどやはり僕は青色が好きなんだなあ、この冷たさが堪らない。文章も青色のように冷たく論理的なものを書けたらといつも思っている。感傷や狂気に先立つ青いものを。

 しかし青は好きだけど寒いのは嫌いだ。冬という季節は好きだけど、やはり寒いのは嫌いだ。

 

20240128, Sun

 Jeux bleuのUI回りを完成させた、恐らくもう弄らないと思う。既に決まっていたパッケージのデザインに寄せて白枠に青色のシンプルなものになった。体験版の頃とはかなり印象が変わったと思う、あれはあまり統一感がなかったから。今作もまたやや扱いにくいUIかもしれないけれどまあいいでしょう、僕はこれで満足です。

 というわけで来週からはシナリオの執筆に注力していくと思う、二月いっぱいでひとまず書き上げたいところだけどどうだろう、僕次第なのはあたりまえだけれど未来の僕は果たして頑張ってくれるでしょうか、頑張って欲しいですね。

 

20240129, Mon

 しばらく前にキッシュを作ろうと深めのタルト型を買ったのだけれど、ポロネギが手に入らなくて死蔵されたままだ。好きなんだよね、ポロネギ。ネギとタマネギの中間のような植物であの甘味がとても佳い。ソフリットを作る時も基本のニンジン、タマネギ、セロリに加えポロネギを使うようにしているし、この有無でかなり味わいが変わる。いやまあキッシュなら普通のベーコンとほうれん草を使ったものを作ればいいのだけれどポロネギにこだわるのはChild of Doppelgänger-Prequel-で描写したキッシュを再現したいのもある。しかしせっかく型を買ったのだから他にも活用したいなあ、今度チーズケーキタルトでも作ろうかしら。いや、それよりもまず一月前に買った紫芋をそろそろ消費しないと、スィートポテトを作ろうとして面倒で放置したままだ。裏ごしが大変なのよね。

 

20240131, Wed

 ヤンデレというジャンルが苦手でどうしてそうなのかを考えてみたけれど、なかなか言語化に苦しむ。行き過ぎた好意によって精神に異常をきたす、それ自体はまあ別に厭な部分ではないのだけれど、その病んでいる状態の扱い方が大抵僕にとって好ましいものではない。なんというか軽いように感じる、納得できないのです、なぜ病んでしまうほどの好意を抱いているかの描写が薄いものが多くはありませんか。その好きは一体どこからやってきて、どのように醸成されたのかが分からなければただただ狂気じみた愛情を向けてくる異常者にしか見えず、与えられた(作り物の)属性としてしか受け取れない。そのプラ板のような軽さが僕には耐えられない。

2023年に寄せて

 2023年が終わる、今年はあまりブログの方に注力できなかったなあ。特にここ数週間はずっと創作の方にかかりきりでブログを更新する暇がなかった。まったく今年が終わってしまうのが信じられないと思う、あまりにも時間の経過が早い。しかしその分だけ多少は重みのある一年に出来たのではないかとは思う、少なくとも去年よりはずっと活動が目に見えたのではないかなあ、新作の完成は非常に大きかった。

 今年の目標として新作を1本出すことはどこかで明示していたのだけれど、実際達成できると嬉しいものだね。〆切を作るというのは実に効果的で自分を追い込むことが出来たと思う、[Child of Doppelgänger-Prequel-]が夏に完成したのはC102のおかげですね。しかし拙作が予想以上に好評で驚いた、随分と鬱々しい作品だったでしょうに。自分で言うのはなんだけれども美麗な絵を前面に押し出すような作品ではないので多くの方々に手に取ってもらえたことすら驚きだった。プレイして下さった皆様ありがとう。

 しかし[Jeux bleu]は今年中に開発を終えられず残念だった、正直無謀だったと思う。僕は自分でも筆が遅い方だと思っているし、文章はともかく絵もあくまで描ける程度なので実験作とはいえ時間を要することは分かっていたのだけれどやはりというべきか間に合わなかった。短編にすることは決めていたので頑張れば出来るかなとは思っていたのですけどね(いやまあ、本作については当初絵を依頼する方向で動いていたのですが)。こちらに関しては申し訳なく思います。とはいえC103にて用意した30部の体験版が全て捌けてしまうのは本当に驚いた、有料でしかも体験版ならこの半分くらい捌ければ御の字でしょうと高を括っておりました。皆様からの期待を感じるとともに現状より更に佳い作品に仕上げないとならないなと思いました。

 あまり口にしていはいなかったのだけれど、今年は多少インプットの方も出来たと思う。夏コミで購入した作品群も全部ではないけれど読めたし(廃メモ、あまつそら、黄昏等)、執筆する上で必要に駆られてではあるのだけれどグノーシスディオニューソス関連の書籍も多く読めた。最近はもっぱらロシア宇宙主義に傾倒しているのでーー僕の興味がある分野が如実に分かってちょっと嫌ですね——、結局異端な神や思想を好ましく思うのは心が青年だからなんですよ。もう26だというのにね。買うだけ買って積んでいる書物も多くあるのでそちらも読み進めていければいいなぁ、バラッドの宇宙の途上で出会うは是非来年中に読みたいですね。

 DLsiteの購入履歴を眺めていたら今年は50本以上買っていた、なんとなく四本/monthくらいは買っていたとは思っていたけれど実際目にすると驚くね、僕はえっちなRPGが好きです。こちらもこちらで全部プレイできている訳ではないのでそろそろ作品を崩す時期を定めていきたいなあと思ったり——というかヒラヒラヒヒルも買ったのに手を付けていない、Steamで買ったBSTもやっていない。僕は駄目です。まあここから先しばらくは新作のシナリオをブラッシュアップしていこうと思います。他にも立ち絵の描き直しとスチル作成とやることはまだまだあります……

 ドッペルゲンガー本編の執筆も新作を終えたら始めたいですね、こちらは割と長くなる予定ですのでシナリオ執筆に1,2年の時間を要すかなとは思っている。きっとそれ以上掛かるのだろうなあ、僕は調べ事をしながら書いていくので1,000字/hourのように効率的に書くことは出来ないのです、せいぜい500字/hourじゃないかしら。いや、もっと少ないかも。色々と執筆している上で分かっているのは机に向かい、椅子に腰を沈めて、テキストソフトウェアを立ち上げ、手を動かせばなぜか文章が生まれているということ、しない限りは全く生まれないということ。なのでこれからも机に向かい白い画面と向き合い続けるのだろうと思う。

 心残りは色々とあるのだけれど、まあそれなりに何かを成せた一年にはなったのではないかと思う。しかしせめて感想記事を一本は書きたかったなあ、ブログはもっと頻度高く更新したかったなあ。何かを書いていなければ、思考を走らせていなければ、感性も文章も錆びついてしまうと思っているので、今後も余程のことがない限り文章に触れていきたいですね。しばらくはまともに文章と向き合えていない気がするのでちょっと焦りがある、新作のシナリオも錆びついた感性で書かれていないかが心配だ。まあ過ぎたことなので錆びていたとしてもまた油をさし、部品を磨けば佳いのです、佳い文章に触れ、考えをより合わせて一本の糸とするのです。

 話は変わるのだけれど僕は糸という表現を好んでいる。流れと同じくらいに僕にとっては根幹にあるような概念だ。一本の線でも合わせれば太く丈夫になるということ、無数の線が合わさって立体的な図形を表すこと、神経叢。だから僕の書く文章には度々流れや糸、それに準ずる表現が出てくるのだと思う。また図形というもの大切な感覚だ、僕は文章の中で佳く図形という単語を出すのだけれど、僕はあらゆるものに図形を見いだしてしまうのだよね、姿形でだけはなくもっと概念的な部分でも、関係性の図形。図形を見いだしながら浮かんでくるのはエル・リシツキーをはじめとしたロシア構成主義の作品やヨゼフ・ミューラー=ブロックマンのようなスイススタイル。年を経るほどに抽象的な物事への関心が強くなっているように思う、まあドッペルゲンガーのUIとかもろにそこらへんの影響を受けているよね。

 さて流れに任せるままに記事を書いていたのだけれどそろそろ締めにしよう、もう少しで今年が終わるからね。来年は新作を出しますのでどうぞよろしくおねがいします、まだ僕はしばらく生きるつもりです。

 人々は諍い、問題は表出し、解決の糸口すら見得ない啀み合いの果て、数々の人命が容易く奪われてしまう動乱の時代です、絶望に囚われ何事にも価値を見いだせなくなることもあるかもしれませんが共に生きていければと思います。

師走の言葉

20231203, Sun

 左腕に怪我を負った。手首を動かすと痛みが伴ってしばらくは安静にしないといけない。しかしコミケまでにしなければならない作業は沢山あって、頭を抱えたい気分だ。進捗はかなりまずい、でも頑張るしかないのだね。来週にはゲームとして組み上げ始める予定なのだけれどまだ立ち絵がそろっていない。シナリオの書き直したい部分もあるしでどこか妥協しなければならないことは分かっている、ああ本当に身体が二つ欲しい気分だ。まったく作業の分担が出来ないのは個人サークルの大きな悩みだ。

 というわけなので再来週、コミケの二週間前くらいには内容の情報をだせるかなあといったところ。本来は11月の末に出せれば佳かったのだけれども。まあ過ぎたことは仕方のないことです、過去を憂うよりも今やるべきことをやらねばならぬのです。こうして現実から目を背けて日記を書いている場合ではない。

 日記といえば今日はコメダに待望のグラクロを食べに行きました。やっぱり美味しかった。でも昨年より少しチーズ感が控えめになったかしらん。

 

20231205, Tue

 注文しようとしていた印刷会社の印刷機が故障の為に大慌てで別の会社にDVDの盤面印刷を頼んだ。こちらは注文が殺到していて納期が怪しいとのことだったのだけれど、銀盤にUV印刷を請け負ってくれる会社がそんなに数がある訳ではないので取り急ぎ発注した。ガワの完成以前に中身をだね、ええ、分かっているのです。分かっているからこうして毎日パソコンと向き合って作業をしている。あ、0時を越えていた、寝る時間だ。

 

20231209, Sat

 また風邪をひいてしまって、まったく身体の弱さに悲しくなる。まあまだそれほど熱は出ていないし、咽喉の痛みと若干の倦怠感があるくらいのものだ。今の状態でできる作業は限られているので、布団に包まりつつパッケージの製造をこつこつと進める、しかし誰だよこんな面倒なデザインにしたやつは。トレーシングペーパーからの切り出しは必要だし、シールは貼らなければならぬしで手間がかかる。既に腕が痛く、腱鞘炎になってしまいそうだ。まだまだスクリプトも残っているし、スチルもタイトルも描かなくてはならないので年末までずっと作業しているのだろうなあ、出来れば落とさないようにしたいけれど落としそうでひやひやする。なおシナリオはあと五千字ほど残っているので完成がほど遠い、助けて。

 

20231210, Sun

 新作のパッケージがなかなかどうして想像通りの出来になったのが嬉しい、シールもトレーシングペーパーも佳い味をしている。実物を組み立てるまで想像といくら乖離しているのかが分からないから心配だったけれど一安心だ。自分の納得できるデザインの為にパッケージを作っているといっても過言でないから、実物があるとテンションが上がるね。しかし今回もまた手間のかかるガワにしてしまったなあ、紙からの切り出しとシールの貼付け、どれも神経を使うから疲れてしまうのだよね。これは個人だからできることだよなあ、もし複数人サークルでこんなパッケージを作ろうものなら非難轟々だよ、コストが馬鹿にならない。ほんとうにただの趣味だよね。

 

20231212, Tue

 絵なんて描けないと嘆きながらペンを動かしている。特に線、まったくもって描けないのです。なんであんな綺麗な線を描ける人がいるのか不思議だ、僕のはミミズみたくのたうち回っているし、むしろミミズに失礼なほどぐねぐねしてしまう。線を描ける人が羨ましいね、でもだからといって練習しようとは思わないので結局その程度なのですね。

 

20231217, Sun

 あと二週間を切ってしまった。絶賛スクリプト作業に追われています。シナリオももう少し手直ししようと思いつつ、今週はベースとなる部分のスクリプトに手を付け出した。まだ先は長いなあ。

 

20231219,Tue

 新作VNのJeux bleuですがちょっとコミケに間に合わなさそうです、すみません。ぎりぎりまで制作は続けますが八割くらいの確率で来年頒布になると思います。中身もそうなのですが、印刷の都合でディスクが手に入らなさそうです。

 

20231224, Sun

 コミケでの頒布物は栞のみとなりそうです。一応まだ出来る所まで制作しているのでもしかしたらとても短いのですがなにかしらの形でお出しできるかもしれません。結局新作がC103に間に合わないので夏コミあたりを目指して現状の作品を精製していく方向に進もうかなと考えていたりします。具体的にはシナリオの大幅な改稿を予定しています。なお絵に関しては厚塗りでなく今の方向性で進めるつもりです。なので現状のシナリオをVer.√-1としてお出しできればと考えているのですが、どうしてこれも間に合わなさそうなのですよね。シナリオも中途半端になってしまいましたし、スチルもほぼ手付かずの状態で(立ち絵さえあればまあここは目をつむれるのですが)、スクリプトはやっと1/5が終わったところ。あと1週間で仕上げられるところを仕上げて出せればいいなあと思います。とても拙いものにはなってしまうと思うのですが暖かい眼で見守ってもらえれば幸甚です。

 余談ですが新作を出せませんので代わりとして拙作[Child of Doppelgänger-Prequel-]のセールを2023/12/31までですが行っています。もし購入を考えていた方がいらっしゃればこの期にいかがでしょうか。 

booth.pm

 

 

霜月の言葉

20231103, Fri

 今年もあと二ヶ月、随分経過が早いと思う。あっという間に過ぎ去ってしまうからこそ濃密な日にしたいと思っているのに無為にしてしまうのは罪深い、でも避けられない。悲しいね、そんなものだよね。

 そういえば今日ちょっと買い物に出た際に警察に呼び止められた。自転車に鍵が据え付けでないのを見咎められたようだったのだけど、別で持ち歩いているのを見せたら納得してもらえた。そういえば防犯登録の住所変更をしていなかったのでどこかで手続きをしにいかないといけないなと思ったり。しかしほんの少し外に出ただけで警察の厄介になるのは嫌になる、別にやましいことをしているわけではないので堂々としていればいいのだけれど、子供の頃に悪い印象を受けた組織であるからどうしても気分が悪い。相手もいい人だとは分かっているけれど、あくまで職務の一つに過ぎないのは理解しているのだけれど、それでも佳い記憶の無いものに対しては警戒心を抱かずにはいられない。いつまで引き摺っているんだ、そろそろいい加減にしろよ。全く僕はこんなんだからいつまでも改善できないのです。

 

20231106, Mon

 今日は個人的に定めていたシナリオの〆切なんだけれども、結局書き終えることが出来なかった。結局想定している2/3しか書けていないのはまずいね、伸ばせるギリギリは来週末かなあ。どうしたって遅筆なのは分かっていたのだけれど、文体を意識的に変えているのもあって一時間で5百文字書ければいいところなのは想定外だった。思いの外進みが遅い、物語も自分で書いていて面白いのかは分からない。まあこれはいつものことですが。それでもそれなりに綺麗な文章になっているかなとは思う。コミケは何とか間に合わせるつもりです——最悪スチルの枚数を制限すればいいので。

 

20231107, Tue

 部屋着は一週間同じものを着て、家の食事は一週間同じものを食べ続け、掃除機をかけるのも週に一度、ごみ捨ては袋一杯になったらか臭い出してから、仕事以外での外出は月に一度あるかないかで、僕は若干セルフネグレクトに脚を突っ込んでいるのだろう。でもそれの何が悪いのか、誰にも迷惑をかけていなくて、外出するときは最低限身だしなみを整える。まだ致命的ではない、まだ普通の人間でいられていると思う。自分の興味関心を惹かないものに対して極端に蔑ろにしてしまう、逆に佳いと思うものは執拗に求めてしまう。それで人間関係を破壊することも多い。中間がなく、プラスかマイナスの極性しかないのはどうして生き辛いと感じてしまうけれど、矯正する方法もないのだ、身体は勝手に動いてしまう。僕は自分を普通の人だと思っているけれど、やっぱり少しだけ変わり者らしい。普通は一週間も同じものを食べ続けるのは飽いてしまうらしい、普通は毎日身体を清潔に保たなくては不快だと思うらしい、よく分からない。よく分からない正常が世の中に蔓延っている。

 

20231108, Wed

 指先の痛みが続いている、特に人差指が両手とも。ここ最近は家にいればずっとキーボードを叩いていて、きっとそれのせいなのだろう。今は肉の部分で叩くのが辛いので爪の先で叩くようにしている。でも慣れないから、結構打ち間違えてしまう。ロキソプレファンでも服用しようかしらと思いつつ、打撲のようなものだから休ませないことには痛みが引かないことは分かっているのだよね。でも色々とやることに追われているし、一旦絵の作業に入ってもいいかもしれないけれど、結局文章がなければ完成できないんだから優先順位の一番はキーボードを叩き続けることなのだね。しかし痛いなあ、痛いぞ、このまま壊死してしまいそうだ。まだ身体が不調を訴える年ではないのだけれど時々弱って来ているのを感じる。特に筋肉の衰え、引かない頭痛、慢性的な低い耳鳴り、歯車のように油を差せば改善できるような身体になりたい、部品を取り換えれば不調が消える機械のように。でもそれはあくまで比喩で、機械なんぞにはなりたくない、僕は人間なのです、生命であるのだから機械のように限られたことをプログラムの通り行うのではなく、限りある命を賭してでも理想を追い求めたいのです、未来を探求し創り上げることこそが自分に形相を与えてくれる、打ち捨てられ錆びた機械になるのは嫌だ、赦して欲しい。指が痛い、頭も痛い、しかしこうして明るい画面を見続けて頭の中を書き記している自分は一体機械のようではないか。ああ、人になりたい。

 

20231110, Fri

 コミケに受かった、退路を断たれた。12/31東R15bにて頒布できるよう一層頑張ります。

 

20231111, Sat

 独り暮らしを始めて一年半を過ぎた今日、ついに電子レンジ(オーブンレンジ)が導入された。弟が不要になったからと譲ってくれたのだ。検めてみると実に汚れていた、内部にはかなりの焦げがこびりついており、擦ってもなかなか消せなかった。メラミンスポンジをためしても駄目だ、なにかスクレーパーのようなもので剥がさないといけないかもしれない。一応手持ちの掃除道具で数時間かけてようやくそれなりに綺麗にしたのだけれど、まだ汚れは残っている。こういうのは許せないのだよね、使うにしても最低限僕の許せる程度に綺麗にしたいのだ。綺麗好きではないけれど、汚れてても気にならない境界線というのがある。少なくとも焦げがまだ残っている状態はよろしくない。明日はもう少し綺麗にしようと思う、今日はもう疲れてしまった。

 さてオーブンレンジが使えるようになったので何を作ろうかと考える。スコーンが好きなので近々作りたいし、パイ生地を作ってパイを焼くのもいいかもしれない。あるいはつぼ焼きなんかもいいだろう。作りたい料理を考えてもしかしレンジの機能を活用する情景が浮かばない、僕はすっかりレンジを使う生活から離れていたので何に使えばいいのかすら判然としないのだ。手軽にものを温められるのはいいと思う、しかし手鍋で十分だと思っているところもあって焼くと煮るを同時にしなければいけない瞬間しか使わないだろうなと思ったり。カレーを温めている間にナンを焼くとかね。まあ様子を見つつ使っていくかとは思う、せっかくあるものを使わなければ損ですからね、オーブン二週間にいっぺんくらいは使ってやりたいなあ。

 

20231115, Wed

 僕には明確にこれが好きだと言えるような食べ物が少ないのだけれど、かといってない訳ではない。グラクロ(コメダグラタンコロッケバーガー)は珍しく僕が好きな料理の一つ。休日にわざわざ赴いてまで食べるのは驚くべきことで、グラクロに関しては販売期間中月に一度食べに行く程度には好きだ。あんな炭水化物、小麦粉の塊みたいな食べ物だというのに本当に美味しく感じられるのはどうしてだろうね。同じくマクドグラコロはまあ好きだけれどコメダがあるならわざわざ食べに行くことはない。マグド自体もう随分と行っていないなあ。ところで今年のコメダのグラクロはいつから販売開始なのでしょう、去年の今頃には告知があったのだけどなあ。待ち遠しいなあ。

 

20231118, Sat

 好きなものを嫌いになること、あるいは関心を払えなくなってしまうことはよくあるのだけれど、嫌いだったものを好きになることはほとんどない、ほとんどというか今までに一度もなかったと思う。嫌いな事物をより一層嫌いになってしまい、いつの間にか徹底的に避けてしまうようになって、例えば僕の場合それは特定の味(食物)や匂い(香料)、人であったりする。よく一つの言説として好きの反対は無関心だと言われることがあるけれど、僕から言わしてみればそれは全く的外れだと思うね、好意に対立するのは徹底的な嫌悪だし、だから無関心に思えるほどに無意識に忌避してしまう。嫌いになってしまったものは避けてしまうがためにそもそも視界に入らず向ける感情が反転することもない。好きなものは好きであるから自然と視線を向けてしまうし、細部を気にしてしまう。皮膚の、その肌理を見てしまうかのように。毛穴を見て気持ち悪いと感じてしまうように、時に好意の視線は見たくないものを必要以上に認識してしまって、拒絶を覚え、好きは容易く嫌いに変質する。それはまるで高度に酸化されてしまうような不可逆的な化学反応。一度知ってしまった嫌悪は完全には消えることなく折りに触れて表象に浮かんでしまうのだから困ったものだ、好きになりたいのにもう好きにはなれない、まるで呪いのように。僕はもうアポテーケのインセンスを買うことはないだろう、僕はもう固ゆで卵を作ることはないだろう、僕はもう部活の同窓会に顔を出すことはないだろう。嫌いなものは無制限に増え続けていくのに、好きなものは増えるどころか減ってしまう、なんてつまらないのだろう、でも止められない。せめて好きを減らさないように適切な距離を保ちたい、距離というのは大切だよ、少なくとも僕はそう思うのだよね。人との距離感を誤ってばかりの僕が言うのだ、間違いないよ。近付き過ぎてしまえばどちらも傷付くことになるのだから、嫌な部分が鮮明になるのだから。好きなグラノーラも一ヶ月食べ続けてしまえば飽きがきて、見たくもなくなってしまうように。ほどほどにしておくべきなのだよ、なににおいてもね。それが好きと嫌いとの適切な付き合い方で、つまらないかも知れないけれど人生の対処法なのだ。

 

20231121, Tue

 最近日記の更新が疎かになっていてよろしくないなあと思ったり。でもこれは僕が気ままに書くだけなので義務感など必要無いのだといえばそうなんだよね。しかし一度始めてしまったものはどうして続けたいという気持ちが沸いてしまうので書く気力がなくとも書いているのだね。ここ最近はずっとコミケに向けての新作制作に忙しくてリソースがそっちに持っていかれている。ただでさえ予定より大幅に遅れているのです、他にもかまける暇はないのだけれど、やっぱり日記に手をつけてしまう。なんだかんだで僅かでも自分の心持ちを文字にしたいという欲求があるのだね。

 

20231125, Sat

 進捗が本当にまずい。すでに修羅場。

 

20231128, Tue

 aesopでオラノンを買い求めた。数カ月前に新作の香水が出ていたのは知っていたのだけれど、中々足が向かなくて今日やっと試嗅がてら行ってきた。トップの柑橘っぽさが少し好みから外れてはいたのだけれど、フランキンセンスとミルラがとても佳い香りで、奥からやってくるパチュリの渋味のあるスパイシーさが心地よかった。印象としては風化した岩肌っぽいというかなんというか、かなり男性的な側面が強い香水ではあったのだけれど、これがどうして好みだった。僕の個人的なイメージだとヨハネ19を想起させる感じかなあ。

 

20231130, Thu

 僕はごてごてのデザインがあまり好きではない。キラキラと過剰に飾られた脂っこいロゴなんか見ていて目が回る。情報が多ければそれだけで一見凄いと思うのかも知れないけれど、飾らなくともシンプルなものにだって佳さが詰まっていると思う。ある駅内の液晶広告でみたVtuberらしき人物の名前ロゴなんて醜悪だとすらおもった、ごてごてとした流行のとにかく個性的であれと情報を詰め込んだデザインのどこに魅力を感じれば佳いのだろう。そもそもとして個性的であることを、差別化することを力技で成し遂げようとするのが気に食わない、やるにしたってもう少し洗練とすべきではありませんか、不要な脂肪は落とそうとは思えませんか。あんな二郎系(二郎インスパイア)ラーメンみたいなデザイン、そろそろ胃が凭れてくるでしょう。まあ脂っこいデザインが好きな人がいるのも分かるし、シンプルであることが正義とも思わないよ。個人の嗜好もきっとある、僕なんかはヘルムート・シュミットを敬愛している人であるからやはりすっきりとしたデザインが好きだし——ちなみに好きなフォントはFuturaHelvetica、Arialは大嫌い——どうしても正反対なものに嫌悪感を抱いてしまうだけなのかもしれない。

Commission

神無月ミズハこと僕に依頼を検討されている方は以下を参考にしていただきたく存じます。

小説執筆やノベルゲーム制作を行っているのでその関連のお話が主になるかと思います。

ただし無用なトラブルを避けるためにも、共同制作でもない作品の相談は受けかねますのでご了承の程お願いいたします。

 

受けられる依頼

・小説、エッセー等執筆

※以下についてはできなくもない程度

・(ノベルゲーム)UI作成

・簡単なロゴ・マークデザイン

 

基本的に受けられない依頼

・イラスト

・助言や相談

 

※価格については応相談。明確な基準がなく申し訳ありません。

見積もり等ご相談の際には以下のメールアドレスまで。

 mizuha.kannazuki■gmail.com(■を@に変更のこと)

シチューにはパンの人だから

 シチューとごはんを分けるか否かという記事を読んだのだけれど、掛けて食べる人が案外いることに驚いた。個人的にはシチューを白米に掛けて食べるというのは受け付け難いし、そもそもシチューでご飯を食べること自体が好きになれないなあ。小学校の給食で供されたシチューも嫌々ながら食べていたことを思い出す、南瓜シチューの粘り着く甘塩っぱさは驚くほど白米と合わなかった。僕の場合シチューにはパンを選ぶし、そのパンも食パンではなくてバゲット派だ。そもそもスープ系統の料理にご飯を合わせるというのは基本的に受け付けない、カレーも出来ればナンで食べたい。僕は食に対して変な拘りがあって、例えば鍋も僕にとっては広義のスープにあたるから白米は進まない、雑炊ならいける、むしろ好き。だけどおでんは無理、あれは米と相性が最悪だ、餅巾着ならいける、好き。

 白米にあわせることが受け付けられない料理がまあまあ存在していて、他人にこの話をすると割と驚かれる。餃子、ソーセージ、ハンバーグ(これはそもそも苦手な料理)、ベーコン巻きのなにか、刺し身※酢飯ならOK、スープや汁物全般、ミルクを使った料理、麺類、芋が前面に出てきている料理(肉じゃがはぎりぎりOK)、粉物等、こんなのだから僕は独り暮らしを始めてからもち米以外の米を買っていないし、使うこともないから炊飯器もない。なんなら電子レンジもない、冷凍後ご飯を解凍する必要がないので。食べたくならないのかと聞かれるのだけれど、まずならなくて、もっとも僕はあまり米を美味しいと思ったことがないのが大きいのだと思う。むしろ美味しくなかった記憶の方が多い、例えば弁当箱にぎちぎちに詰め込まれて冷えきった米の不味さといえばこれに勝るものは滅多にないのではありませんか?

 では主食は何を食べているのかと言えばパンもそうだけれど、麺や芋も多い。まったく日本的ではないね、でもそのようになってしまったのだよね。

 シチューにはパンの人だから、ご飯にかけるか否かなんて関係なくてシチューにご飯は合わないと思う訳です。でもシチューには断然ご飯だという人もいるわけで、これは家庭でどのように提供されていたかによって変わるのかなあ、変わるのだろうね。しかし僕の家では昔はご飯だったけれど僕と弟が酷く嫌がってパンになったという経緯があったりする。親と子でかなり好き嫌いが離れているのはどうして環境だけが要因でないのだろうけれど、果たしてなにが理由なのかは分からない、ただ言えるのは僕は決してシチューを米では食べられないということです。