万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

ロゴを一新した

f:id:Traum_Mizuha:20190623232629p:plain

f:id:Traum_Mizuha:20200825235913p:plain

前のは前でシンプルで良かった。……前の方が良くないか? いや、せっかく作ったしやめるのは嫌だなあ。長く見ていると愛着がわくというし、そのうち慣れるんじゃない? 



 万年筆と神経毒のロゴを一新した。ロゴを弄っていてなんとなくいい感じのができて気に入ったので当分はこれを使っていこうと思う。こういうのを作ると改めて何かをつくることの難しさを実感する、フォトショの使い方はもちろんのこと、頭にあったものを形にすることの大変さはいつまでも変わらない。

 ちなみにデザインのパクリ、もといオマージュ元は英語版の『罪と罰』の表紙。一から何かをつくるなんて僕には不可能で、僕が創作する場合には何かしらのオマージュ元がある。例えば『贖罪と命』だったら『罪と罰』がそう。

 

 新作VN『ドッペルゲンガーの子供』について少々。現在はまだシナリオの執筆中で、第一部〈gnōsis〉が半分くらい書けていて、第二部の〈その存在の消し方〉の少しずつ書き出しているところ。つまり全然進んでいないのだけれど、ちまちまと頑張っていこうと思う。できれば今年中に完成させたいなあ。第一部はタイトルから分かるようにグノーシスに結構触れている。第二部は……そうだ、今作はミステリーの味がある作品にしたいと思っている。昔からミステリーを書きたいと思っていた、だから今回はそれに挑戦したい。でも僕はあまりミステリーを読んでいないから、ミステリー風の何かになるかもしれない。でもミステリーといったところでこの単語が指す意味は複数あって、推理小説の場合もあるが不可思議なものを指すこともあるし、語源であるギリシャ語では秘儀を意味しているように推理小説という意味のミステリーではないかもしれない(秘儀といえばエレウシスの秘儀が思い浮かびますね。エリアーデ世界宗教史は名著なのでぜひ読んで下さい。ダイマ。そういえばグノーシス主義を知ったのも世界宗教史だった気がする)。第一章のタイトルであるgnōsisグノーシス主義を指すだけでなく、ギリシャ語で認知を意味する。今作は複数の意味を繋げていくような作品にしたいなあ。

 

 イケアでサメのぬいぐるみを買った。もうここ最近はずっとそれを抱き枕の代わりに使って抱いている。あの大きさが身体にフィットしてちょうどいいし、ふわふわしてるのやばくない? 気持ちいい。抱く麻薬だなあ、なんて思う。あれを使い始めたら他の物を抱いて寝ることが考えられなくなってしまった。

 

 先日某空間にあった拙作『慈愛と祈り』の感想を読んだ。かなり痛烈な意見で読んだあとしばらく動けなかった。いいお話を書けたと思っていたから自信を無くしたし、落ち込んだ。もう無理をして創作をしなくていいんじゃないか、死にたい、もう嫌だ、そんなことを思って、今も思って、ちょっとだけ進捗を出して、死にたくなって、空虚で、憂鬱で、でもまだ創作をしている自分が不思議だ。なにかに縋らないと生きていけないから、おそらく僕は、こうして何かを作ろうとしている自分という姿に縋っているのだろう。それが沈没しかけの泥船だとしても、まともに見えてしまって、陶酔しているのだろう。でもそれでいいじゃないか、死んだところで何があるわけでもなく、まあ究極的には生きていて何かがあるわけではないけれど、だけどこの一瞬が素晴らしいと一人讃嘆していればそれなりに楽ではあるのだからそれでいいじゃないか。

 

 ロゴを改めてみると、やはりごちゃごちゃ感が否めない。しかしどう改善すればいいのか全く分からない。何が良くて何が悪いのかもわからない。何もわからない。

 悪いように見える一方で、いいように見えるし、僕が信じられない。自分の感性を信じればいい話だけれど、でも自分が良く書けたと思った作品を酷評されるし、本当に自分が正しいのかという保証なんてないから僕はいつまでたっても自分を疑い続けている。