万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

消したい衝動

 色々な物を消してしまいたい衝動に駆られる。身の回りにある物ではなく、ネットにある自分の痕跡のようなものを。だから僕は公開しているゲームを全て非公開にしようとも思った。ツイートを全て消し、いやアカウントも消そうかとも思った。でもしていない。どうせそんなことをしたって虚しくなるだけだというのは自分でよくわかっていたから。気鬱な時に自分を虐める方向へ行動してしまいそうになるのは僕の悪い癖だ。今日はまた過去のツイートを無作為にいくつか消した。そうすることで少しだけ落ち着くのだ。永遠に見られなくなったツイートに、どうして安定する要素があるのだろう、僕がおかしいのかもしれない。最近の僕の調子はすこぶる悪い、何もしても希薄感が拭えない。自分の手は物体に触れることができず、空振りしてしまっている。僕はきっとなにも掴むことができないのだろう。でありつつけるだろう。気持ち悪い。吐いてしまいたい。胃の中を空っぽにした後に更に吐き続けて、空虚な痛みを抱えながら落ちてしまいたい。苦痛の中で自分という存在が遊離してくれやしないだろうか、僕という僕らしい僕が形を伴って表出してくれやしないだろうか。いつまでこんな感覚の薄い日々が続くのだろうか。

 アルコールに弱い僕は飲酒しても心地よく酔えない。頭の中で痛みが花開き、嘔吐感の中で惨めになるだけだ。アルコールすら僕には逃げ道を提示してくれない。唯一現実を忘れることができるのはオナニーしている時くらいだろうか。一瞬の快楽のために時間を使い潰すあの時だけは僕は僕を忘れていることができる気がする。小説を飲んでいるときですら僕はあれほど忘我の土地に足を踏み入れることが無い気もする。はて、すると僕はオナニー依存症なのかもしれない。キモいなあ。しかしそうだとしてもどうでもいいことだろう、誰に迷惑をかけているわけじゃあないし。僕がキモいのは今に始まったことではないのだ、小学校、いや、幼稚園の自分を見てもらいために自分で自分のノートを隠していたときから僕は既にキモい人間だったのだから。

 今書いている作品は何度も書いては消してを繰り返していて、結局未だにまともに書けてはいない状況にある。カタカタとMacを叩く音が憂鬱に響き、僕は自分に苛立ちながら、deleteキーを押している。何を書いても面白みを感じられない。僕にはどうせ才能なんてないのだからやめてしまえばいいのにという言葉は堂々巡りし、思考は波に飲まれるように鬱々とした暗澹たる気分になる。僕はまだ作業を止めない。

 なぜか小学生の頃に習字で『世界平和』と書いたことを思い出した。当時の僕はきっとそんなこと露ほども望んでいなかったはずなのに、『世界平和』だなんて誇大妄想に近い言葉を書いた。ミミズがのたうち回ったような字で。笑ってしまうね。あの習字は教室の後ろに飾られていたのだけれど、僕はとても居心地が悪かった。馬鹿にされているように思えた。堂々と『世界平和』と自分の字で掲げられているのを見て不快にならない人はいるのかしらん。少なくとも僕にはひどく不快で、あんなことになるのならふざけて『焼肉定食』とでも書けば良かったと酷く後悔した。当時の作品は昨年まで押入れに眠っていたのだけれど、年末の大掃除の時に捨てた。幼稚園から中学生に至るまでの作品や思い出(色紙とか)の数々を僕はゴミに出したのだった。どうせ見返すこともない、ただ押し入れの奥で腐っていた過去の残骸を、残骸らしく灰にしてやったのだ。感傷はなく、やはり僕はどこか無感覚な人間なのかもしれないと改めて思った。