万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

二月と言葉

20240204, Sun

 一年の1/12が過ぎてしまったという事実に戦慄するとともに、過ぎ去った時間の内にどのようなことがあったのかをぼんやりとしか思い出せないことに愕然とする。昨日のことも、一昨日のことも、はっきりとはせずこのままだらしなく過ごしていたら退化してしまいそうだ。だから一日一日を言葉に残したいと考えているのにこうして今月を言葉にするのはもう四日目になってから。今日はJeuxbleuの体験版範囲をプレイして違和感を探りながらシナリオの展開について考えていた。このまま書いていて佳いのだろうか、面白く感じられるだろうか、いつだって自分の文章には不安が付き纏う。自信の無さは何が理由なのだろう、分からない。不確かだ。

 話は変わるけれど僕にとって料理は実験に似ている。特定の料理を作りたければまずレシピを探すと思うのだけれどこれは論文探しににているよね。今日はPodvarakとProjaを作った、約二ヶ月前に仕込んでいたキセリクプスが完成したから。どちらの料理も始めて作るものだったからレシピを探していたのだけれど、やはり外国の料理というのもあってか日本語のレシピが少なく(あるにはあったが一つ二つだけ)比較できないので信頼に欠ける。仕方ないので機械翻訳を駆使しながら外国語のレシピを参照して、共通する材料、異なる部分を探し、実現可能なレシピ(条件)を組み立てる。なんとかできたレシピを元に実際に料理して、味に不満があればレシピを組み直す。実験だって目的とする成果が得られなければ条件を検討し直すから。ほら、似ている。

 

20240205, Mon

 真木悠介「自我の起源」を再読している。初出は1993年と僕が生まれる前の著作なのよねと思いつつ、最初の方頁から春と修羅からの引用があって氏は宮沢賢治好きよねと思ったり。

 

20230209, Fri

 自サークルのマークを作り直したい(ブラッシュアップしたい)と考えてはいるけれど、結局手が回らずまあこのままでもいいかとも思っている。それなりにデザインには満足しているが、もう少し捻りたいし詰めが甘い部分が多々あるのでそこは直したい。ちなみに何度か言及しているのだけれど、あのマークはVolokhonsky夫妻訳の罪と罰の表紙にインスピレーションを受けて作っている。うっとりするよね、このデザイン。本自体も非常に優れた訳なので罪と罰の英訳が読みたい方はこちらを是非読んで欲しいところ。

 

20240214, Wed

 先日(といっても一週間以上前)拙作[贖罪と命]、[慈愛と祈り]の配信を終了した。以前より配信を終えようとは思っていたのだけれど、機を逃していた。慈愛と祈りは数年前に一時期配信を一時停止していて、再会してからちょうど二年が経った。この二年を節目に止めた訳です。クオリティに不満があったというのが最も大きな理由ではある、当時はまだゲームの形に押し込めることに精一杯でだからあのような視覚的な美しさが欠損した作品となってしまっていた。所詮個人が手慰みに作っていたものであったからそこまでクオリティに頓着していたわけではなかった、でも今の自分から見たら堪え難かった。せめてUIはなんとかしたいし、フォントもまるで考えられていない。絵はまあそこまで重要ではないが——少なくともあの二作品においては——、音楽回りのクラシック統一はもう少し考えようがあっただろう。改善できる部分は数多くある。とはいえクオリティへの不満だけで配信終了したわけでもないのですが。

 以前停止した時はある匿名の人物から少し攻撃的なことを言われて気を病んでしまったからだったのだけれど、今回は一時的な停止ではないし外的で直接的な要因があったわけでもない。単にもういいかなと思った。DLも別に多くはなかった、CoDPを出して若干増えたけれど言及されるわけでもなかった、そしてこのように気にしてしまう自分がなによりも厭だった。せめて、と思う。せめて気にするくらいならもう少し佳いものにしておきたいと思った。まだまったく手を付けることが出来ていないのだけれど、別のゲームエンジンでリメイクを考えてはいる。UIの刷新やら何やらも含めて、文章にも多少手を加えるだろう。自分の我が侭で申し訳ないと思うがひとまずあの二作は世から姿を消しました、またお目見え出来るときがあればその時に。

 

20240218, Sun

 割合僕は面倒なことが好きなのだと思う、手間暇を惜しみがちなことでもどうして労力も時間も注いでしまいがちだ。

 この土日はデスクのクリーニングをした、無垢剤のオイル仕上げのものを使っているから天板を紙やすりで均し、オイルを塗り込んだ。床に残っている汚れが気になり佳く絞った布で何度もこすった。週課となっているスコーンも作った。料理はしかし多少手を抜いて簡単なものにした(ロマネスコのポタージュと余っていたポドヴァラックのガレット)。空いた時間に新作のシナリオを練り直し、文字を打っては消す作業、面倒だと思うが何もやらない時間というのも惜しい。再読して気になった箇所を修正して遅々として進まない。参考文献を読みつつ改稿すべき箇所を考える。時間は消えるように過ぎ、すっかり日が没してしまった。忘れていた革靴のメンテナンスをし終え、シャワーを浴び、髪を切った。真夜中になり腰を落ち着けて執筆を始める。文字を書き、細かい描写に気を配る内に僕は面倒なことが好きなのだろうと思った。いや、面倒が好きというよりも自分でコントロールしたいのだろう、思い通りに行かないと気が済まないのだろう、我が侭なのだろう。

 

20240221, Wed

 C104に申し込んだ。受かれば新作Jeux bleuを出すことになると思う。出せるように制作を進めていけたらと思う。制作が順調に進めばドッペルゲンガー関連で小冊子を用意したいけれどどうなるでしょうね。あと予備でとっておいたChild of Doppelgänger-Prequel-のパッケージも若干数だけど持っていくつもりだ。受かると良いのだけれど。

 

20240226, Mon

 時期がやってきましたね、花粉症の。先日の暖かい日に一斉に花粉が飛んだのか今日は目が痒く、鼻水が止まらず、熱っぽくて頭が回らなかった。辛い。何にも手が付かなくて、画面を見つめているのも眼球の奥にじわりと痛みが伴う。こめかみの付近から伝う頭痛、熱を持った額と鼻先、身体全体が重く病気になったかのようだ。症状が年々酷くなっている気がする、なんとかならないものでしょうか。薬を飲んでも対して効かないのはどうしてか、身体に合っていないから、それとも別の理由が? でも幾つもの種類を試すほどの気力も奪われてしまっている。ここから数ヶ月身体が常に悲鳴を上げるのを我慢しながら過ごさなくてはならないと思うと今から憂鬱だ、生き地獄というやつだねこれは、まったくどうしてこんなシステムが身体にあるのでしょう。必要だから、そうだね免疫系が機能していることは素晴らしいよ、でも過剰過ぎるんだよ。

 

20240227, Tue

 生きている心地が薄くて、儚くて、今にも溶けてしまいそう。今の状態はまるで水だ、ゲルでなくゾルだ。自分が希薄で、手を動かしている感覚が、肉が、骨が、神経がまるで別人のものみたいに感じることもある。遊離している。凍りついたように心が動きにくく、何をするにしても気力というものが全く湧かないのはこのためでしょうか。憂鬱な心持ちが最近より一層酷くてどうしようもなくなってきている。今の自分が、人生が、全くの余韻で、何もかも果たしてしまったかのようにも思えてしまう。あまり暗いことを書かないようにしていた、そうしないとますます落ち込んでしまうから。だけれども言葉にしないと、少しでもなにかを産み出していないと自分に価値を見いだせなくて、実生活も全く空虚で、取り戻せないという感覚ばかりが自分を巻き込んでいる。苦しい。苦しいから、まだ生きているのだろう。いつになれば終わりにできるのでしょう、いつになれば最期の言葉を残せるのでしょう。今日も何も成せていない、せめて明日にはと希いながら自分に痛みを与えて存在を確かめる。

 

20240228, Wed

 今までの生の中で大切な人というものが出来た例が無く、一瞬だけいた恋人すらも結局大切だと思えなかった。宝物、僕はそう言い張れるものを探している。少なくとも物体においてはいくつかあるけれど、それに準ずるほどの熱を人に持った覚えがない、哀しいことに。愛を知りたい、愛されたい、このような欲望は常にあり——特定のキャラクターに血道を上げているが——、現実の、有形であるものが対象になるとどうして怯えが出てしまう。

 

20240229, Thu

 自分の顔写真が必要と言われフォルダを漁ってみるがまったく存在していないことに驚く。自分でも僕は写真嫌いだと分かっていたのだけれど——自分の顔が好きではないし、データとして残るのが厭だ——、こうも見当たらないと徹底しているのだなと関心すら覚える。唯一あったのは先月のアクナイフェスで撮ったオペレーターとのツーショット、それ以外には一つもない。単純に自分を撮る機会がないというのもあるのだろう、僕は他人と行動することが少ないし、写真を撮るような関係の人もほぼいない。しかしこうして自分が孤独な人であることを見せつけられるのは少し悲しかった。