万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

Child of Doppelgänger -Prequel- あとがき的な何か

 新作、[Child of Doppelgänger -Prequel-]を世に出してから半月が過ぎた。早くもプレイ報告や感想を頂けて本当に嬉しいです、ありがとうございます。作者冥利に尽きます。

 さてこうして筆を執ったのは特に意味がある訳ではなく、単に僕なりにこの作品を振り返ろうと思ったから。なんだかんだで作品ごとにあとがきを書くようにしているわけで、だけど今作ではソフトウェア上に入れたいとも思わなかったから(あれは徹頭徹尾に柊理香子の物語だ)ここに残そうと思う。下らない雑文だ。以下には多少なりとも新作の内容に対する言及がある。

 

 改めて新作を手に取り、読んで下さった方々に感謝を。ありがとう。

 新作は僕のゲームとしては三作目になる。ひたすらに柊理香子という人間を書こうとしたのだが伝わっただろうか、構想では10万字くらいで書き上げられるかなと思っていたのだけれど、結局彼女の選択を描くのにその2.5倍と随分言葉を尽くしてしまった。情けない。だけどそれなりに佳い出来になったのではないかと思う、なっていればいいなと思う。

 反復、反響、背反、自反という言葉を思い浮かべながら、とにかく表現したかったのは一人の人間を物語以上の存在にすること、そして柊理香子による物語であること。結局は彼女の言葉だということ。Prequelの段階では伝え切れなかった部分は本編まで待ってもらえたらと思う。本編は一人の人間をひたすらに描くのではなく、もっと茫洋としていて、それでいて色々な人間の人生や断片が重なり合って図形となるようなものにできればと考えている。話は逸れたがとかく物語の捉え方は皆様に任せます、結句、読者の受け取れた情報が、浮かんだ心象が、揺らいだ感情こそが全てなのですから。

 つい最近誤字脱字の修正の為に読み返したのだが、やはりと言うべきか、とても重くて苦しい作品だった。自分が書いているから当然なのだけれど、自分の柔らかい部分に刺さる物語で、読むのが辛かった。三ヶ月前までの書いている時点では基本的に柊理香子の内面と同化していたからあまり感じなかったのだけれど(憂鬱の発露は快楽だから)、他人という視線にぶれると質の異なる苦しさがあった。でも、また一つ僕にとって掛け替えのない作品になったのではないかと思う。

 新作を制作するにあたってミュージックモードの実装は欠かせなかった——柊理香子が適当なCDを聞いて好きな音楽を見つけるように、というような意味を込めていないこともない。特にオーディオスペクトラム自閉症スペクトラムという言葉に呼応すると感じていたから是が非でも表示したかった。しかし僕はスクリプトの能力が乏しいので誰かに頼む必要があった。それでかねてより交流のあったねこの様に依頼し晴れて実装となった。改めて唐突で注文の多い依頼にも拘わらず受けて下さり、完璧なものを用意して下さったねこの様に感謝を。本当に助かりました。

 UI作成やその他スクリプトは基本的に自分で行った。意味を持つ形にするためにUIを一から考えて実装するのには骨が折れたが、有志の方々が放流しているプラグインの数々のおかげでなんとか実装できた。とはいえ例えばセーブロード画面は無理やりあの形にしているから判定が少しおかしくなっているところがある。迷惑をかけた方がいたら申し訳ない。

 パッケージのデザインも自分で行った。イメージとしては本やノートブックがベースとなっている。背面のあらすじとかは僕の好きな新潮クレストブックを参考にさせていただいた。一見デザインの一種として置いてあるバーコードにも意味があったりする。ディスクレーベル面はタイトルや内容から受け取れるイメージを抽象化してデザインしてみた。キャラ絵の一つも載せないのは僕が絵を描けないからでもあるんですけどね。まあ、とはいえ中身に絵がないと物足りないのでスチルは何枚か描いている。絵は苦手だからあまり描きたくないなと思いつつ手を動かしていた。だから基本的に気に入っているシーンの絵がスチルの半数を占めていて、特にクラゲと多摩川はシーンとして気に入っているからまともに描いたこともない背景すら描いた。偉い。

 あまり作品自体の内容を話すと蛇足になってしまうのだけれど、柊理香子のイメージはマリア(聖母、マグダラともに)だったり、リリス(リリと名乗っているのはこれで、彼女自身もあえてこの名前にしている)だったり、メディア(Servare potui, perdere an possim rogas ?)だったりが混和している。僕がこう言った所で彼女が規定されるわけではないし、彼女はきっと私を分かったつもりになるなと激高するだろう。あくまで彼女の内面を共有した一介の人間がそんな印象を受けた、というような軽い感想だ。

 次回作は冬コミで出す三人称の短編ノベルになると思う。楽しみにして下さっている方には申し訳ないのですが、ドッペルゲンガーの本編は少しづつ制作していきますのでしばらく待ってもらえたらありがたい、できるだけ早く世に出せるよう頑張りますから。

 この世には様々な選択があって、折りに触れて選択を強制されることが多々あります。連続する選択は精神を疲弊させ、全てが厭になってしまうこともあるでしょう。生きていることは時に悲しく、時に苦しい。少なくとも僕は文章を書きますから、こんな僕を支えると思って、それでも共に生きていければ嬉しいです。