万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

2023年に寄せて

 2023年が終わる、今年はあまりブログの方に注力できなかったなあ。特にここ数週間はずっと創作の方にかかりきりでブログを更新する暇がなかった。まったく今年が終わってしまうのが信じられないと思う、あまりにも時間の経過が早い。しかしその分だけ多少は重みのある一年に出来たのではないかとは思う、少なくとも去年よりはずっと活動が目に見えたのではないかなあ、新作の完成は非常に大きかった。

 今年の目標として新作を1本出すことはどこかで明示していたのだけれど、実際達成できると嬉しいものだね。〆切を作るというのは実に効果的で自分を追い込むことが出来たと思う、[Child of Doppelgänger-Prequel-]が夏に完成したのはC102のおかげですね。しかし拙作が予想以上に好評で驚いた、随分と鬱々しい作品だったでしょうに。自分で言うのはなんだけれども美麗な絵を前面に押し出すような作品ではないので多くの方々に手に取ってもらえたことすら驚きだった。プレイして下さった皆様ありがとう。

 しかし[Jeux bleu]は今年中に開発を終えられず残念だった、正直無謀だったと思う。僕は自分でも筆が遅い方だと思っているし、文章はともかく絵もあくまで描ける程度なので実験作とはいえ時間を要することは分かっていたのだけれどやはりというべきか間に合わなかった。短編にすることは決めていたので頑張れば出来るかなとは思っていたのですけどね(いやまあ、本作については当初絵を依頼する方向で動いていたのですが)。こちらに関しては申し訳なく思います。とはいえC103にて用意した30部の体験版が全て捌けてしまうのは本当に驚いた、有料でしかも体験版ならこの半分くらい捌ければ御の字でしょうと高を括っておりました。皆様からの期待を感じるとともに現状より更に佳い作品に仕上げないとならないなと思いました。

 あまり口にしていはいなかったのだけれど、今年は多少インプットの方も出来たと思う。夏コミで購入した作品群も全部ではないけれど読めたし(廃メモ、あまつそら、黄昏等)、執筆する上で必要に駆られてではあるのだけれどグノーシスディオニューソス関連の書籍も多く読めた。最近はもっぱらロシア宇宙主義に傾倒しているのでーー僕の興味がある分野が如実に分かってちょっと嫌ですね——、結局異端な神や思想を好ましく思うのは心が青年だからなんですよ。もう26だというのにね。買うだけ買って積んでいる書物も多くあるのでそちらも読み進めていければいいなぁ、バラッドの宇宙の途上で出会うは是非来年中に読みたいですね。

 DLsiteの購入履歴を眺めていたら今年は50本以上買っていた、なんとなく四本/monthくらいは買っていたとは思っていたけれど実際目にすると驚くね、僕はえっちなRPGが好きです。こちらもこちらで全部プレイできている訳ではないのでそろそろ作品を崩す時期を定めていきたいなあと思ったり——というかヒラヒラヒヒルも買ったのに手を付けていない、Steamで買ったBSTもやっていない。僕は駄目です。まあここから先しばらくは新作のシナリオをブラッシュアップしていこうと思います。他にも立ち絵の描き直しとスチル作成とやることはまだまだあります……

 ドッペルゲンガー本編の執筆も新作を終えたら始めたいですね、こちらは割と長くなる予定ですのでシナリオ執筆に1,2年の時間を要すかなとは思っている。きっとそれ以上掛かるのだろうなあ、僕は調べ事をしながら書いていくので1,000字/hourのように効率的に書くことは出来ないのです、せいぜい500字/hourじゃないかしら。いや、もっと少ないかも。色々と執筆している上で分かっているのは机に向かい、椅子に腰を沈めて、テキストソフトウェアを立ち上げ、手を動かせばなぜか文章が生まれているということ、しない限りは全く生まれないということ。なのでこれからも机に向かい白い画面と向き合い続けるのだろうと思う。

 心残りは色々とあるのだけれど、まあそれなりに何かを成せた一年にはなったのではないかと思う。しかしせめて感想記事を一本は書きたかったなあ、ブログはもっと頻度高く更新したかったなあ。何かを書いていなければ、思考を走らせていなければ、感性も文章も錆びついてしまうと思っているので、今後も余程のことがない限り文章に触れていきたいですね。しばらくはまともに文章と向き合えていない気がするのでちょっと焦りがある、新作のシナリオも錆びついた感性で書かれていないかが心配だ。まあ過ぎたことなので錆びていたとしてもまた油をさし、部品を磨けば佳いのです、佳い文章に触れ、考えをより合わせて一本の糸とするのです。

 話は変わるのだけれど僕は糸という表現を好んでいる。流れと同じくらいに僕にとっては根幹にあるような概念だ。一本の線でも合わせれば太く丈夫になるということ、無数の線が合わさって立体的な図形を表すこと、神経叢。だから僕の書く文章には度々流れや糸、それに準ずる表現が出てくるのだと思う。また図形というもの大切な感覚だ、僕は文章の中で佳く図形という単語を出すのだけれど、僕はあらゆるものに図形を見いだしてしまうのだよね、姿形でだけはなくもっと概念的な部分でも、関係性の図形。図形を見いだしながら浮かんでくるのはエル・リシツキーをはじめとしたロシア構成主義の作品やヨゼフ・ミューラー=ブロックマンのようなスイススタイル。年を経るほどに抽象的な物事への関心が強くなっているように思う、まあドッペルゲンガーのUIとかもろにそこらへんの影響を受けているよね。

 さて流れに任せるままに記事を書いていたのだけれどそろそろ締めにしよう、もう少しで今年が終わるからね。来年は新作を出しますのでどうぞよろしくおねがいします、まだ僕はしばらく生きるつもりです。

 人々は諍い、問題は表出し、解決の糸口すら見得ない啀み合いの果て、数々の人命が容易く奪われてしまう動乱の時代です、絶望に囚われ何事にも価値を見いだせなくなることもあるかもしれませんが共に生きていければと思います。