万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

雑記11

  今日も耐え難い虚しさを抱えながら文章を綴る。いや、これは文章というよりも文字の羅列に過ぎないのかもしれない。別に私は何かを残したくて綴っているわけではないし、ただ書き散らしたいから、その気分の赴くままに書いているだけなのだ。子供の頃の印象的な出来事を夢に見た。おそらくだけれど、それは私が小学校低学年の頃の記憶だと思う。もちろん脳なんて代物は記憶を都合よく改ざんするものだし、だからその記憶が完全に現実に起こったことと同一なんてことは無いと思うし、現に私だってその夢に見た出来事が本当にあった出来事なのか分からないのだけれども、まあ、印象に残っているのだから文字に残そうと思ってブログを開いたわけで、でもブログを開いたところで別に面白くもなんともない、しかも脳による創作かもしれないこの出来事を書くことは必要なのかと思い始めたのだけれど、そもそもとしてブログを書くこと自体が別に必要なことかと言われれば必要ではないのだから思い悩む必要はなく、こうしてうだうだと言い訳がましく文字を綴ることに何の意味があるのだろうか?

 庭に置いてあった木片をどかすとそこには小指の先ほどの小さな白い物体が三四個あった。恐る恐る人差し指で突いてみると、柔らかく、私はぎょっとして仰け反った。蜥蜴の卵だった。白くザラザラとした表面には結露が付いていて、一見するとキノコの一種に見えた。多少の恐怖を感じながら、私はその卵を手にとって、転がしてみた。ころころと手のひらの上で転がる白い塊は、生命の息吹を感じさせることもなく、ただ転がるだけだった。私は最初こそ好奇心でその様子を眺めていたのだけれど、急につまらなくなって、元の場所に戻した。木片も戻しておこうかとも考えたのだけれど、でもそれではこの発見が意味のないものになってしまうように感じられて、私は何か、自分の事を刺激してくれるようなことができないかと考えた。白い卵を見つめたまま何分も経って、ようやく私はあることを思い付いた。私は嬉しくなって、直ぐあたりを見回し、手近な木のを拾った。私が思い付いたことはこうだ。

「卵に穴を開けて、その中を覗いてみよう」

 子供というのは好奇心の権化と言うべき生き物で、こうした残酷な行為もまったく意に介さずに行う。私も一人の子供であったから、なんの躊躇もなく卵に枝を突き立てた。中からはどろりとした液体が流れてきて、私はそうなることが分かっていたはずなのに驚いた。卵が生命だということに改めて気付かされたのだ。まるで血が流れ出るかのように液体を垂らす卵に対して、私は恐怖し、その場に投げ出してそこを去った。後日その場を見てみると枝の突き刺さった卵は依然としてそこにあり、なんだか私のことを恨んでいるかのように思えた。生命に対する冒涜を感じた。と同時に私はなんだか神聖な気分になって、恐怖と恍惚が入り混じった気分でその卵を踏み潰した。はっきりとした感触はなかったはずなのに、私はなにか大きなものを潰している気がしていた。気が済んでから卵のあった場所を見ると、そこにはぐちゃぐちゃになった土しかなかった。残ったのは虚無ばかりであった。