万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

ブログの名前変えた

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 万年筆と神経毒ってサークル名義で新作を出したので、まあちょうどいい機会だと思ってブログの名前を変えた。前は沈んだ木笛ってクァジーモドの詩からとったやつだったので――まあそれも気に入っていたのだけれど――自分で考えた名前をと思ったわけ。僕自身、万年筆で文字を書くことはもちろん、収集も好きだし、大学で研究する分野が生物毒ってこともあってこんな名前。あと神経毒みたいに人に強く影響する文章を書きたいっていうのもあるのかなあ。自分でもよく分からない。でも万年筆と神経毒でどちらも漢字三文字だから丁度いいってのもある。

 

 先に少し触れたけど、ふりーむで新作を公開した。『贖罪と命』ってタイトルのサウンドノベルスクリプトはまだ初心者だから、いや文章を書くのだってまだ初心者なんだけれど、自分でプレイしてみると粗が目立つ。まだ更新しなきゃなあ。でも自分一人だけである程度の形にすることが出来たのは進歩だと思う。こうやって公開したのもそうだし、完成させたこともそうだ。意味があるかどうかなんてわからないけれど、僕は自分の中で何かが変化したような気がした。続けるかは、分からない。ゲーム作りは楽しいかと聞かれればそうではないし、文章を書くのだってそうだ、むしろ苦しいまである。僕は楽しくもないことを望んでしている。不合理だ。でも、昔からそうだった。苦しいことを望んで行い、そこに何かを感じる行為。その何かは自分の存在の確かさかもしれないし、全くの別物かも知れない。それでもよく分からないものを苦しんでまで望むのだから、きっと僕が生きる上で大切なことなんだと思う。新作はそんな生きづらさを書いたつもりだ。書けていればいいな、と思う。

 書いた中で特に気に入ってるのは、主人公が自分の首を絞めるシーン。自分で自分の首を物理的に締めて書いたんだ。首を絞めると、凄く苦しくなる。もう生きていけないって感じて、思わず首を絞めるのを緩めてしまう。そして酸素を慌てて取り込むわけだ。そんなことわかりきっていたのでけど、実際にやってみると想像の何倍も苦しいのね。苦しかったからわざと笑ってみたのだけど、そうするとなんだか楽しい気分になってくる。行為が先にあって感情が出てくるんだ。おかしいよね、でも笑うのをやめたら一層虚しくなってまた首を絞めたくなる。無限ループだ。怖くね? あれを何回も続けていたら僕は間違って死んでしまったかもしれないね。それは事故死になるのかなあ。僕としては事故なんだけれど、はたからみれば立派な自殺なわけで、これは自殺じゃないんだと説明したくても死んだ人間にはものをいう口が無いので、僕は自殺したことになります。生命保険も受け取れません。ぎゃあ。虚しいなあ、虚しいなあ。虚しいので月に話しかけましょうということで外に出てみました。ですが月は雲に隠れて出てきそうにありません。真っ暗。こんな時間なので外に人影もなく、まるで僕だけが世界に取り残されたような暗い、そんな気分になる。でも街灯は煌々と光り、闇を照らしているわけで、随分と仕事熱心なことで、立派だなあと思うわけですよ。僕しかいないのに道を照らしてくれるだなんてね。でも本当はその光りも僕だけのものじゃないってことは分かりきっているので虚しくなります。虚しさの無限ループ。そこで僕はこの虚しさと世界中の人々に伝えたいなあなんて思うわけですよ。でも周りに人はいない。少しくらいこの虚しさに恐れをなして外を走り回っている人がいてもいいんじゃないかしらん。

 

 それにしても最近は酷く寒い。一昨日には雪少し積もった。今も足元で電気ストーブを点けながらブログを書いているが、上半身はどうにも寒いので毛布を被っている。だが、一昨日はそれでも身体が冷えたから相当寒かったのだろう。この程度の寒さで堪えているので、到底僕には北海道で生活することなどできないと思う。僕は冬は嫌いだ。手を出していると冷たくなり、動かなくなるのが特に恨めしい。本を読んでいると手がかじかんで頁を捲り辛くなるもの耐えがたい。冬はあらゆる活動を遅らせてしまう。遅れるのは冬のせいだからと布団から出られない自分も恨めしい。でも、チョコは溶けないし、飲み物もぬるくならないので悪い事ばかりというわけでもない。ただ、僕にとって都合の悪い部分が多いだけの事なんだ。