万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

あけまして、酢と塩麹は万能調味料ではない

 2021年になった。あけましておめでとう。本当は一日に何か書くつもりだったのだけれど、うだうだと長引き、結局十日になってやっと書き始めた。と言っても別段書きたい話題があるわけではないのだけれど。

 最近は正月におせちを食べないわが家だけれど、栗きんとんと黒豆と炒り鶏は必ずでる。出るのはいいのだけれど、母の作る黒豆は正直好みではない。というのも塩麹と共に煮ているからだ。塩麹は巷で万能調味料だと持て囃されているけれど、僕はそうは思えないね。妙に甘味があって、人はうま味があるというけれど、確かにそれはそうかもしれないが、何にでも合うとは違うんじゃないかなあ。だったらトマトだって昆布だって万能調味料になりえるでしょう? だけどトマトも昆布もそれなりに決まった——アレンジでいろいろな料理に加えることはあるが——メニューに使うし、入れれば決まっておいしくなるとも限らない。だけど母は何にでも調味料として塩の変わりに塩麹を使うのだ。黒豆に関しては元の甘味のおかげで塩麹のくどさは多少紛れているとはいえ、食感が嫌だった。黒豆を食べているというのに、米の細かな断片が混ざってくる。そもそも見た目も寄生虫が湧いているように見えて駄目だった。黒い液体の中に白さを保った小さな粒々が浮いているのを見て気分が良くなることなんてないだろう?

 それに母は最近発酵食品の他に酢にもはまっているようで、かなりの確率で酢を使った料理を作る。砂糖や塩を使う要領で酢を使うものだから酢酸臭くてたまったものじゃないし、量もそれなりにいれるから変に酸っぱい料理になる場合もある。困ったものだ。 

 去年から母は健康に気を使うようになって、どこともしれない業者から浄水器やイオン水を買っているのだけれど、それを指摘したらヒステリックになってしまったのである。あの一件以降食生活には口を出さないようにしているが、正直参ってしまっている。冷蔵庫の中は発酵食品の匂いがしっぱなしで、鼻が曲がってしまいそうだ。発酵食品は健康的だ、酵素は体内を整えるってそれは本当に言っているのだろうか。酵素は特にタンパク質でしかないのだから、胃の中で容易に分解/失活してしまうだろうし、正体不明の酵素を取り入れることも気が知れない。母は酵素ジュースなるものを作っているのだが、それにだってどんな細菌が繁殖しているのは分からないのだからむしろ非健康的ではなかろうか。健康というのはある種の宗教だと思う。人は自らの生命を脅かされることを酷く忌避するものだから、健康を求めてしまうのはしかたがないとしても、〈健康〉という言葉を信奉してしまうのは間違っている。誰だって健康でありたい、苦痛でありたくないと思うから、健康を売りにした商品が売れ、中には良質なものもあるのだろうが、一部には悪質な健康と謳っているだけのものもある。酵素なんてものはその代表的なものではないだろうか。特に根拠があるわけでもないのに、健康である、という上辺の情報だけで飛びつき、金を垂れ流して安心感を得る。本当は健康になっていないにも拘わらず、健康になっていると思い込む。

 塩麹は発酵食品だから体に良いとは母が良く言うことなのだけれど、食べ物なんてのは大抵体にいいものではないだろうか? ビタミンBが体に良いのは知っているが、それを含む食品は他に無数にあるし、わざわざ摂取する必要もない。あと栄養は満遍なくとるべきであって、特定の栄養素にだけ注目したところで意味はないのだ。

 

 とまあ、ここまで食べ物のことを書いてきたのだけれど、正月らしさが全然ない。まあ正月は過ぎ去ってしまっているのですが。

 続いて今更だけど新年の抱負を考えることにする。去年は結局完遂できなかったので、もう少し楽なやつにしたい。……でも思い浮かばないのです。最近は意欲の低下が激しく、もう生きることもやめたい。生きていてなんになるのだろう。僕はもう23なのだし、十分生きたじゃないか。死んでもいいのではないだろうか。年を経る毎に加速する体感時間からしてもうどんな快楽だって刹那的でしかなく、空虚を抱えているしかできないことが分かっている。なにもないからなにもかもなくしたい。……でも迷惑を掛ける人がいるから、一人暮らしをするまでは死なないと去年言ったではないか。

 

 新年の抱負はとりあえず生き残ることにしておきます。ややもすれば自殺を選んでしまいそうな不安定な精神状態だけれど、抱負にすることで難しいけれど生きていけるような気がします。