万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

6月の言葉

20220601, Wed

 時に自分が存在してしまっていることに気付き、ハッとする。自分の生がまるで他人事のように思えるのが通常で、時間は流れるように進むが、まれに別地点にワープしたかように自分であることを思う。指先を切り膨らむ赤い玉を見る時や、冷たい水が咽喉を通る時、ふとした逸脱の中で僕の存在を感じる。存在している、これを表現するのは難しい。どう形容したらいいのだろう、自分であることを自覚するというのとは若干異なる感じがする、自分が開かれている、とでも言うべきでしょうか。

 自分があることに対して別段嬉しく思うことはありませんが、悲しいわけでもありません。ただ、違和感があるのです。でもそれはきっと、普段は意識しないことへ意識を向ける際に生じる感覚の揺らぎなのでしょう、あることへの感覚も、いつのまにか過ぎ去ってしまい、なかったものとして扱われるのですから。だけど在りし感覚に僕は喜びに近いものを感じることもある、それは存在に対する畏敬なのでしょうか、祈りなのでしょうか。

 

20220602, Thu

 友人は片手に収まる程度、あと恋人がいれば人間関係というのは事足りるんじゃないかなあ、まあ恋人がそんなに重要かは分かりませんが、人格をある程度まで許容してくれる人物が近くにいるのはきっと精神衛生上佳いと思います。よすがの有無は、有形無形問わず癒やしを与えてくれる。しかし、ただ無制限に自分を許容し、居場所を与えてくれる存在であれば、それは抱き枕のような無機的なものであっても問題ないように思うし、現に思い返してみればユウちゃん(抱き枕)の存在は僕を限りなく幸せにしてくれていて、ああやっぱり恋人というよりも大切なのは居場所という概念なんだろうなって、そう思ったところで、僕は人間関係について説こうとしていたころを思い出しました、しかし僕という人間はまったくもって駄目なやつですから、基本的に引きこもり基質の、他人と深い関係を築くことに恐怖を覚えてしまい、躊躇してしまい、酷く小さな関係性だけを宝物のようにぎゅっと握りしめているだけのか弱い精神性ですから、大声で人間関係の善し悪しについて語れるほどの考えを持っているわけではありませんし、なんなら教えてもらいたいほどですが、どうして僕は小さな関係でいいと思うのです、仄暗い穴倉暮らしには蝋燭の弱い光の方が魅力的で、過大な明るさはむしろ目を焼いてしまうに違いありません、ああ、本当に、過剰なものは求めません、身の程をわきまえて生きていきます。欲を言えば、頭の中だけではなく、生身の声帯を使う対話の可能な恋人が欲しいとは思いますが、ええ、こんなヘドロのように自己愛や自己嫌悪や劣等感や虚栄心や孤独や欲望が詰まった脳みその人間が他人から愛されようたって上手くいかないことは厭というほどに分かっております、このヘドロはいつだって僕を泥沼に引きずり込んで、離してくれなくて、馬鹿みたいな話だけど、そんな状況に慣れて、もはや安心感すら覚えてしまっていて、ああ、幸いなるかな精神の暗き安寧よ、僕をいつまでも離さないでおくれ、幸せです、幸せなんです、幸せだと思わなければやっていけないのです、脳髄は溶け、安定感のない思考の中で、これでも真剣に人生や人間関係に向き合っているのですと言い分けじみた声を反芻するのです。

 

20220604, Sat

 もうずっと昔から耳鳴りが止まない、高い音が小さく鳴り続けている。まるで耳の奥で渦が巻いているような、あるいは蟲がいるような感じで、周囲の音が小さければ小さいほどに気になってしまい、ノイズキャンセルのヘッドホンをしても内側からの音だから掻き消せなくて、大きな音で音楽を聴くくらいしか対処法がなくて、もう地獄。普段は小さく鳴っている程度なのだけれど、気分の起伏があるみたいに突然大きく低く鳴り出したりと困り者です、ストレス性なのでしょうか。僕はだから音を聞き取ることが苦手で、相手の言葉を聞き取れず、聞き返してしまうことが多くて厭になる。この前の健康診断では低音性難聴の疑いがあると診断されたのだけれど(聴力検査では確かに低音が鳴った覚えが全く無かった)、もしかしたら本当に耳の病気なのでしょうか、それでもやはりストレスが発症の原因であるのなら、この24時間ストレスフルな日々で一体どうしてこの苦痛から逃れることができるのでしょう、生きているだけでこの仕打ちなら、こんな肉の殻なんか捨ててしまいたい。

 

20220606, Mon

 僕は憎悪です、そして憎まれたいのです。僕は色欲です、そして愛されたいのです。僕は嫉妬です、そして虐げられたいのです。強いる者よりも強いられる者に、食う者よりも食われる者に、裁く者よりも裁かれる者に。

 あなたの沈黙にすっかり慣れてしまっていて、今更声を発して欲しくはない。あなたのことを想像したくもないのです。あなたは決して全能ではない、全能であってはならない。原子やその揺らぎの偶然性をあなたは識りもしない。それでも、ややもすれば僕はあなたについて考えを巡らしてしまう。

 あなたを愛そうと努力しました、あなたを愛していると錯覚したかった、あなたに愛されていると思い込もうとしました、だけど全ては成り立たなかったのです、少なくとも僕の中にあなたの居場所はただの少しも存在しなかった。

 僅かでも僕はあなたに僕をくれてやりたくはないのだ。去れ、去れ、どこにでも行ってしまえ。

 

20220609, Thr

 もしも運命がある程度まで定まっているのだとしたら、この世界に生きる意味を見出せるだろうか。

 予測されうる世界に在ることの残酷さに耐えられるだろうか。

 

20220611, Sat

 美容院というものは予約が必要だという知識はあるのだけれど、それってとても面倒なのだろうなあ。僕は髪を自分で切っているからとてもじゃないけれどわざわざ予約して髪を切るということが信じられない。でも、自分で髪を切っていると人に言うと、大抵驚かれる。普通じゃない? 世の中の人はわざわざ髪を切ってもらっているのですか。化粧と同じ要領ではないんですか。

 元より僕は自分の容姿に気を使う人間では無かったし、髪を切ることに特別なスキルを必要とするとも思っていないから未だに自ら散髪するし、むしろ他人に自分の髪を弄られることが不快じゃないのかと疑問だし、ああ、そういえば僕が他人に髪を切られることを避ける様になった出来事があった。子供の頃は他人に切ってもらっていて、それが普通だったのだけれど、ある時祖父に連れていってもらった床屋で僕の要求にそぐわない髪形にされてとても悲しかったのだ。ほぼ坊主と言ってもいいくらいにとても短く髪を切られ、誰かに馬鹿にされたのだ。以降他人に髪を切らせたくなくなったし、いつからか自分で切るようになった。

 他人を信頼すると大抵痛い目に遭う、そう子供ながらに思ったのです。

 

20220612, Sun

 他人を好きになることは今までに何度かあった。その度に邪魔をしたくないと思った。人生の障害になりたくないと。

 言葉を交わせることはありがたいことだったし、行動を共にしてくれることは幸福感を与えてくれたが、僕と関わることそれ自体が不快ではないのかと、無理をしているのではないかと考えずにはいられなかった。僕はやはり自尊心というものがあまりにもないものだから、成功体験の少ない人間にありがちな自らを無価値とする考えの持ち主であるから、疑わずにはいられないのであった。

 あなたと一緒にいられた時間が一度でもあった、それだけでいいのです。僕は負担になりたくないのです。

 だから好きになった人間に告白をしたことはなかった——今までに一度だけした告白は、好きという感情が伴わない、ただ恋人が欲しかったという歪んだ欲望の上にあったものだった。拒絶されるのを恐れていた、そういう側面もあったのかもしれないが、それ以上に(なんらかの応答を強いる)感情をぶつけるという暴力的な行為に忌避感があった。

 言葉は力です。特に感情が込められた言葉は、それをぶつけられた精神を容易に疲弊させ、傷つける。

 僕は恐ろしいのです、僕の一時の感情で好意を抱いた相手の人生の邪魔になってしまうことが。

 

20220613, Mon

 あなたという言葉は便利だ、僕にとっては少なくとも特定の存在を思い浮かべることがないから。あなたは大きな枠組みであり、柔軟性があり、何にでもあてはまる。

 昨日壊れてしまった冷蔵庫のような機械にだってあなたという名詞を宛てがうことができる。違和感もない。

 日曜日のことだった、昼食を用意しようと思い、扉を開くと生暖かい。不思議に思う、どうして冷えているはずの庫内がこんなにも常温に近いのだろうかと。もしかしたら誤ってコンセントを抜いてしまったのかもしれない、ケトルの電源を引っ張ってくる際に付近の電源を使った覚えがある。しかし、ライトは点いている、電源は接続されている、ではなぜ冷たくないのか。設定を変えてしまったのかもしれないと思い、覗くが「強」となっており、ああ、あなたは壊れてしまったのだとそこで気付く。冷凍庫も冷たくない、常温だ。冷凍のうどんはすっかりぬるこく、やわい。そして異臭がした。探ると鶏肉から腐敗臭がしていた、先日キロ単位で買い、冷凍保存したつもりだったのに。どうしてこんなことに。最悪だ、休日に用意した常備菜もきっと長くは持たない、どっと疲れがやってきた、でも、どうにかしないとまともな暮らしは送れない。あなただけは必要なんだ、電子レンジも炊飯器もない僕の家だけど、成り立っているのはあなたが居たからなんだ。どうにか復活しないかと電源を抜き差ししても少しも温度は下がらない。

 微かなエーテル臭と腐敗臭の残り香。まるで死臭のように、鼻の先にこびりつく。本格的に駄目なのだと分かる、溶媒が漏れている。その日のうちに家電屋へ行き、新しいものを注文する。届くのは来週の土曜らしい、それまで残りの食材はもつだろうか……いや、無理に違いない。加熱しているとはいえ常温で放置していれば細菌は著しく増殖する。ああ、あなたはどうして急に死んでしまったのでしょう。

 

20220615, Wed

 今の世はあまりにも殺伐として、憎悪に満ち、どうしたって息苦しい。
 自らの正義を一方的に振りかざし、悪だと身勝手に決めつけ、糾弾し、あるいは見下して気持ちよくなって、自分とは直接的には関係ないからと、そして相手は悪であるからと他人の領域を踏み荒らし、尊厳までをも蹂躙し、心の中では哄笑して、だのに自分だけは正常だと思い込んでいる。だって正しい行いをしているのだからと言い訳を繰り返して、無理やりに平仄を合わせて正当化して、気分のむかつきや相手のバックグラウンドには無視を決め込む。まるで見せ物小屋。誰かを憎まなければ、自分を肯定できなくて、(自分より)不幸な人がいなければ、自分の価値が揺らいでしまうような感覚を抱いている人々。社会の病のように、そういう種類の人間は一定数存在する。競争や比較の中で生きてきたから、息をしてきたから、それ以外の土壌で過ごすことが出来ないでいて、ややもすれば他人を見下してしまう。もうそれは癖、一生消えることのない個性。年齢が下というだけで、社会的地位が下というだけで、少数派というだけで、(無意識的にも)排撃しようとし、他人の些細な幸せを嫉み、内面の安定をはかる。
 人を価値付けるものとはなんなのでしょう、他人の価値を別の他人が決めてしまっていいのですか、明確で絶対的な基準なんてなくて、結局は相対的な比較でしか決められないというのに。自分たちは安全な場所に立って、口出しばかりして、それで偉くなったと勘違いして、価値を押し付けて……見苦しい。一部を切り取って、それが全体だとする考え方をもう止めてくれませんか。
 人生における大抵の出来事は運でしかないはずなのに(出会う人間との相性も運の一つだ)、たまたま生まれた国が、性別が、家が、生活が違うだけで差別や非難の対象になってしまって、個人という人格は削除される。分かりやすくマクロな視点でしか事物を語れない人間は努力不足だからだとか、別にも方法があったはずだとか、明瞭かつ具体的な解決策も提示できないくせに声だけは大きく叫び、同調する人間の意見だけを聞いて気持ちよくなって、自分は正しいことを言っていると思い込んで、助けを求める声になんて耳を貸さない。とてもステキで幸せな生き方ですね。

 

20220618, Sat

 他人の幸せをどうしても認められない人がいる。自分だけが損をしていると分かると、それを許容できずに他人に噛みつく人がいる。どこまでも利己的で在り続け、他者に迷惑をかけることに少しも疑問を抱かずに、むしろ自分の主張が通らないことに嘆き、被害者ぶる。他人に攻撃されると激高し、どれだけ自分が正しいのかを説くが大抵の場合少しも正しくはない。むしろ理不尽なのはあなただと言いたくなる。自分の欲望を制御できなかった結末が今のあなたなのでしょう? 一時の快楽に身を任せてしまったのは自分の弱さだというのに、そのつけを他人に払わせたいとはどれだけ身勝手なのですか。

 人は弱い生き物です。一枚皮を剝げば利己的で、独善的で、醜い生き物です。でもその柔らかくて醜い部分を隠して生活しているのです。他人に迷惑を掛けながらも、しかし礼節を弁えて適切な距離感を保つことで関係を成立させているのです。

 現実の身分を隠すことが可能なSNSでは人間の醜い部分が表出しやすい。いや、まるでそれをさらけ出すことに快楽を感じているかのように、わざと見せつけるような人がいる。アイコンに一つの人格を載せ、肋骨やそれに護られた内蔵を剥き出しに、ほらほらこれが僕の本質なんだよと、馬鹿みたいに。

 

20220619, Sun

 吐き気がする。気持ち悪い。精神的なものだろうか、それとも何か悪い者を食べてしまったのか、あるいはウイルス性の病気か。頻繁に吐き気が込み上げるから、よく分からない。自分の体調がもう何が正常で何が異常なのかが判別できない。頭痛や耳鳴りはもうパートナーと言っていいくらい寄り添っていて、これが正しい姿のような気がする、人間の機能のひとつとして存在していて、たまたま僕がそれを感じ取り過ぎてしまうだけなのかもしれない。自らの心臓の音を煩く感じてしまうように。

 

20220620, Mon

 壊れる。壊れたい。壊れてしまいたい。ブッ壊れてしまいたい。

 人間やめませんか? バイバイしませんか?

 優しい、諦観に似た笑みを浮かべて。

 

20220625, Sat

 緩慢な日々を送っていると、生きている意味というものを考えてしまう。生きて、それでどうなるというのだろう。何かを成す? 誰かに認められる。役に立つ……でも、究極的にはどのような出来事さえも意味を成さない、と僕は考えてしまう。今こうしてキーボードを叩いていることも、紅茶を飲んでいることも、仕事をすることも、全て僕が死んでしまえば意味のないことだし、仮に多少は意味付けられたとしても、百年後は、千年後はどうですか? きっと全て忘れ去られてしまい、存在の痕跡は消えてしまう。生きている意味ってあるのですか。僕はどうしてもあると言えないのです。でも、それでも欺瞞とは分かっているのだけれど、虚無に落ちないために無いとは言わないのです。もしかしたらがあるかもしれないから。

 特に最近、この世界に意味を見出せないでいて、物欲もどんどん減退していって、このまま干からびてしまいそうだ。ミニマリストではないのだけれど、持ち物を少しづつ減らしている。今日も仕舞い込んでいた書類をばっさりと捨てた。何かを捨てることは過去を捨てることのように思う。僕は過去を捨て、未来に生きるのです。嘘です、単に自分という痕跡を消すという行為がなぜか楽にしてくれるのです。人生にはそれほど物は必要ないんじゃないかな、いつかは、人生の最後には、小さなスーツケースの中に少しの着替えと一枚の絵と一冊の本だけを入れて存在を消し去りたい。

 

20220628, Tue

 意味を与えて下さい。この世界に在り続ける理由を下さい。自らで思考し、自律し、行動することに疲れてしまったわけではないのです、思考を伴わない行為への憧れもありません。ただ、自らを捧げる相手を欲していて、存在の限りを尽くして奉仕したいのです。奉仕の心になることなんです、奉仕の心になることなんです。ですが我儘な僕はこの世界という大きなものではなく、個のような小さなものしか対象には出来なくて、だから神に帰依できず、いつまでも自我を明瞭に保っているのです。信仰したいわけではありません、救いを求めているわけでもありません、ただ自らを特定の存在に埋没させ、一体化したいのです。小さな祈りを引き受けて下さい。反応を下さい。言葉を下さい。愛して下さい。

 

 どうして恋人がいることを求められるのだろう、どうして独り身は異常だと言われるのだろう。ある男が私に言った、出会いを探した方が良いと、そして結婚した方が良いと。まるでそれが正常であるように、そうでないことが間違っていて、幸せではないとでもいうように。個人の勝手だろ、と思う。モテなかったのかとも聞かれた、モテなかったと言えばホモセクシャルなのかとも言われた、俺のケツは貸せないと冗談交じりに言われた。吐き気がした、純粋に嫌悪した。彼は笑いながら俺は寛容だから君がどんな嗜癖だとしても何も言わない、偏見を持たないというようなことを言った。その言葉がすでに偏見に塗れているというのに、どうしてそのことに気が付かないのだろう。男はなおも喋り続けた、偏見を隠そうともせずに自分の正しさを吐き出し続けた。悪意はないのだろうが、その無自覚な毒に僕は参っていた。