万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

霜月の言葉

20231103, Fri

 今年もあと二ヶ月、随分経過が早いと思う。あっという間に過ぎ去ってしまうからこそ濃密な日にしたいと思っているのに無為にしてしまうのは罪深い、でも避けられない。悲しいね、そんなものだよね。

 そういえば今日ちょっと買い物に出た際に警察に呼び止められた。自転車に鍵が据え付けでないのを見咎められたようだったのだけど、別で持ち歩いているのを見せたら納得してもらえた。そういえば防犯登録の住所変更をしていなかったのでどこかで手続きをしにいかないといけないなと思ったり。しかしほんの少し外に出ただけで警察の厄介になるのは嫌になる、別にやましいことをしているわけではないので堂々としていればいいのだけれど、子供の頃に悪い印象を受けた組織であるからどうしても気分が悪い。相手もいい人だとは分かっているけれど、あくまで職務の一つに過ぎないのは理解しているのだけれど、それでも佳い記憶の無いものに対しては警戒心を抱かずにはいられない。いつまで引き摺っているんだ、そろそろいい加減にしろよ。全く僕はこんなんだからいつまでも改善できないのです。

 

20231106, Mon

 今日は個人的に定めていたシナリオの〆切なんだけれども、結局書き終えることが出来なかった。結局想定している2/3しか書けていないのはまずいね、伸ばせるギリギリは来週末かなあ。どうしたって遅筆なのは分かっていたのだけれど、文体を意識的に変えているのもあって一時間で5百文字書ければいいところなのは想定外だった。思いの外進みが遅い、物語も自分で書いていて面白いのかは分からない。まあこれはいつものことですが。それでもそれなりに綺麗な文章になっているかなとは思う。コミケは何とか間に合わせるつもりです——最悪スチルの枚数を制限すればいいので。

 

20231107, Tue

 部屋着は一週間同じものを着て、家の食事は一週間同じものを食べ続け、掃除機をかけるのも週に一度、ごみ捨ては袋一杯になったらか臭い出してから、仕事以外での外出は月に一度あるかないかで、僕は若干セルフネグレクトに脚を突っ込んでいるのだろう。でもそれの何が悪いのか、誰にも迷惑をかけていなくて、外出するときは最低限身だしなみを整える。まだ致命的ではない、まだ普通の人間でいられていると思う。自分の興味関心を惹かないものに対して極端に蔑ろにしてしまう、逆に佳いと思うものは執拗に求めてしまう。それで人間関係を破壊することも多い。中間がなく、プラスかマイナスの極性しかないのはどうして生き辛いと感じてしまうけれど、矯正する方法もないのだ、身体は勝手に動いてしまう。僕は自分を普通の人だと思っているけれど、やっぱり少しだけ変わり者らしい。普通は一週間も同じものを食べ続けるのは飽いてしまうらしい、普通は毎日身体を清潔に保たなくては不快だと思うらしい、よく分からない。よく分からない正常が世の中に蔓延っている。

 

20231108, Wed

 指先の痛みが続いている、特に人差指が両手とも。ここ最近は家にいればずっとキーボードを叩いていて、きっとそれのせいなのだろう。今は肉の部分で叩くのが辛いので爪の先で叩くようにしている。でも慣れないから、結構打ち間違えてしまう。ロキソプレファンでも服用しようかしらと思いつつ、打撲のようなものだから休ませないことには痛みが引かないことは分かっているのだよね。でも色々とやることに追われているし、一旦絵の作業に入ってもいいかもしれないけれど、結局文章がなければ完成できないんだから優先順位の一番はキーボードを叩き続けることなのだね。しかし痛いなあ、痛いぞ、このまま壊死してしまいそうだ。まだ身体が不調を訴える年ではないのだけれど時々弱って来ているのを感じる。特に筋肉の衰え、引かない頭痛、慢性的な低い耳鳴り、歯車のように油を差せば改善できるような身体になりたい、部品を取り換えれば不調が消える機械のように。でもそれはあくまで比喩で、機械なんぞにはなりたくない、僕は人間なのです、生命であるのだから機械のように限られたことをプログラムの通り行うのではなく、限りある命を賭してでも理想を追い求めたいのです、未来を探求し創り上げることこそが自分に形相を与えてくれる、打ち捨てられ錆びた機械になるのは嫌だ、赦して欲しい。指が痛い、頭も痛い、しかしこうして明るい画面を見続けて頭の中を書き記している自分は一体機械のようではないか。ああ、人になりたい。

 

20231110, Fri

 コミケに受かった、退路を断たれた。12/31東R15bにて頒布できるよう一層頑張ります。

 

20231111, Sat

 独り暮らしを始めて一年半を過ぎた今日、ついに電子レンジ(オーブンレンジ)が導入された。弟が不要になったからと譲ってくれたのだ。検めてみると実に汚れていた、内部にはかなりの焦げがこびりついており、擦ってもなかなか消せなかった。メラミンスポンジをためしても駄目だ、なにかスクレーパーのようなもので剥がさないといけないかもしれない。一応手持ちの掃除道具で数時間かけてようやくそれなりに綺麗にしたのだけれど、まだ汚れは残っている。こういうのは許せないのだよね、使うにしても最低限僕の許せる程度に綺麗にしたいのだ。綺麗好きではないけれど、汚れてても気にならない境界線というのがある。少なくとも焦げがまだ残っている状態はよろしくない。明日はもう少し綺麗にしようと思う、今日はもう疲れてしまった。

 さてオーブンレンジが使えるようになったので何を作ろうかと考える。スコーンが好きなので近々作りたいし、パイ生地を作ってパイを焼くのもいいかもしれない。あるいはつぼ焼きなんかもいいだろう。作りたい料理を考えてもしかしレンジの機能を活用する情景が浮かばない、僕はすっかりレンジを使う生活から離れていたので何に使えばいいのかすら判然としないのだ。手軽にものを温められるのはいいと思う、しかし手鍋で十分だと思っているところもあって焼くと煮るを同時にしなければいけない瞬間しか使わないだろうなと思ったり。カレーを温めている間にナンを焼くとかね。まあ様子を見つつ使っていくかとは思う、せっかくあるものを使わなければ損ですからね、オーブン二週間にいっぺんくらいは使ってやりたいなあ。

 

20231115, Wed

 僕には明確にこれが好きだと言えるような食べ物が少ないのだけれど、かといってない訳ではない。グラクロ(コメダグラタンコロッケバーガー)は珍しく僕が好きな料理の一つ。休日にわざわざ赴いてまで食べるのは驚くべきことで、グラクロに関しては販売期間中月に一度食べに行く程度には好きだ。あんな炭水化物、小麦粉の塊みたいな食べ物だというのに本当に美味しく感じられるのはどうしてだろうね。同じくマクドグラコロはまあ好きだけれどコメダがあるならわざわざ食べに行くことはない。マグド自体もう随分と行っていないなあ。ところで今年のコメダのグラクロはいつから販売開始なのでしょう、去年の今頃には告知があったのだけどなあ。待ち遠しいなあ。

 

20231118, Sat

 好きなものを嫌いになること、あるいは関心を払えなくなってしまうことはよくあるのだけれど、嫌いだったものを好きになることはほとんどない、ほとんどというか今までに一度もなかったと思う。嫌いな事物をより一層嫌いになってしまい、いつの間にか徹底的に避けてしまうようになって、例えば僕の場合それは特定の味(食物)や匂い(香料)、人であったりする。よく一つの言説として好きの反対は無関心だと言われることがあるけれど、僕から言わしてみればそれは全く的外れだと思うね、好意に対立するのは徹底的な嫌悪だし、だから無関心に思えるほどに無意識に忌避してしまう。嫌いになってしまったものは避けてしまうがためにそもそも視界に入らず向ける感情が反転することもない。好きなものは好きであるから自然と視線を向けてしまうし、細部を気にしてしまう。皮膚の、その肌理を見てしまうかのように。毛穴を見て気持ち悪いと感じてしまうように、時に好意の視線は見たくないものを必要以上に認識してしまって、拒絶を覚え、好きは容易く嫌いに変質する。それはまるで高度に酸化されてしまうような不可逆的な化学反応。一度知ってしまった嫌悪は完全には消えることなく折りに触れて表象に浮かんでしまうのだから困ったものだ、好きになりたいのにもう好きにはなれない、まるで呪いのように。僕はもうアポテーケのインセンスを買うことはないだろう、僕はもう固ゆで卵を作ることはないだろう、僕はもう部活の同窓会に顔を出すことはないだろう。嫌いなものは無制限に増え続けていくのに、好きなものは増えるどころか減ってしまう、なんてつまらないのだろう、でも止められない。せめて好きを減らさないように適切な距離を保ちたい、距離というのは大切だよ、少なくとも僕はそう思うのだよね。人との距離感を誤ってばかりの僕が言うのだ、間違いないよ。近付き過ぎてしまえばどちらも傷付くことになるのだから、嫌な部分が鮮明になるのだから。好きなグラノーラも一ヶ月食べ続けてしまえば飽きがきて、見たくもなくなってしまうように。ほどほどにしておくべきなのだよ、なににおいてもね。それが好きと嫌いとの適切な付き合い方で、つまらないかも知れないけれど人生の対処法なのだ。

 

20231121, Tue

 最近日記の更新が疎かになっていてよろしくないなあと思ったり。でもこれは僕が気ままに書くだけなので義務感など必要無いのだといえばそうなんだよね。しかし一度始めてしまったものはどうして続けたいという気持ちが沸いてしまうので書く気力がなくとも書いているのだね。ここ最近はずっとコミケに向けての新作制作に忙しくてリソースがそっちに持っていかれている。ただでさえ予定より大幅に遅れているのです、他にもかまける暇はないのだけれど、やっぱり日記に手をつけてしまう。なんだかんだで僅かでも自分の心持ちを文字にしたいという欲求があるのだね。

 

20231125, Sat

 進捗が本当にまずい。すでに修羅場。

 

20231128, Tue

 aesopでオラノンを買い求めた。数カ月前に新作の香水が出ていたのは知っていたのだけれど、中々足が向かなくて今日やっと試嗅がてら行ってきた。トップの柑橘っぽさが少し好みから外れてはいたのだけれど、フランキンセンスとミルラがとても佳い香りで、奥からやってくるパチュリの渋味のあるスパイシーさが心地よかった。印象としては風化した岩肌っぽいというかなんというか、かなり男性的な側面が強い香水ではあったのだけれど、これがどうして好みだった。僕の個人的なイメージだとヨハネ19を想起させる感じかなあ。

 

20231130, Thu

 僕はごてごてのデザインがあまり好きではない。キラキラと過剰に飾られた脂っこいロゴなんか見ていて目が回る。情報が多ければそれだけで一見凄いと思うのかも知れないけれど、飾らなくともシンプルなものにだって佳さが詰まっていると思う。ある駅内の液晶広告でみたVtuberらしき人物の名前ロゴなんて醜悪だとすらおもった、ごてごてとした流行のとにかく個性的であれと情報を詰め込んだデザインのどこに魅力を感じれば佳いのだろう。そもそもとして個性的であることを、差別化することを力技で成し遂げようとするのが気に食わない、やるにしたってもう少し洗練とすべきではありませんか、不要な脂肪は落とそうとは思えませんか。あんな二郎系(二郎インスパイア)ラーメンみたいなデザイン、そろそろ胃が凭れてくるでしょう。まあ脂っこいデザインが好きな人がいるのも分かるし、シンプルであることが正義とも思わないよ。個人の嗜好もきっとある、僕なんかはヘルムート・シュミットを敬愛している人であるからやはりすっきりとしたデザインが好きだし——ちなみに好きなフォントはFuturaHelvetica、Arialは大嫌い——どうしても正反対なものに嫌悪感を抱いてしまうだけなのかもしれない。

Commission

神無月ミズハこと僕に依頼を検討されている方は以下を参考にしていただきたく存じます。

小説執筆やノベルゲーム制作を行っているのでその関連のお話が主になるかと思います。

ただし無用なトラブルを避けるためにも、制作に関する相談といったものは受けかねますのでご了承の程お願いいたします。

 

受けられる依頼

・小説、エッセー等執筆

※以下についてはできなくもない程度

・(ノベルゲーム)UI作成

・簡単なロゴ・マークデザイン

 

基本的に受けられない依頼

・イラスト

・助言や相談

 

※価格については応相談。明確な基準がなく申し訳ありません。

見積もり等ご相談の際には以下のメールアドレスまで。

 mizuha.kannazuki■gmail.com(■を@に変更のこと)

もしくはTwitterのDMでも大丈夫です。

シチューにはパンの人だから

 シチューとごはんを分けるか否かという記事を読んだのだけれど、掛けて食べる人が案外いることに驚いた。個人的にはシチューを白米に掛けて食べるというのは受け付け難いし、そもそもシチューでご飯を食べること自体が好きになれないなあ。小学校の給食で供されたシチューも嫌々ながら食べていたことを思い出す、南瓜シチューの粘り着く甘塩っぱさは驚くほど白米と合わなかった。僕の場合シチューにはパンを選ぶし、そのパンも食パンではなくてバゲット派だ。そもそもスープ系統の料理にご飯を合わせるというのは基本的に受け付けない、カレーも出来ればナンで食べたい。僕は食に対して変な拘りがあって、例えば鍋も僕にとっては広義のスープにあたるから白米は進まない、雑炊ならいける、むしろ好き。だけどおでんは無理、あれは米と相性が最悪だ、餅巾着ならいける、好き。

 白米にあわせることが受け付けられない料理がまあまあ存在していて、他人にこの話をすると割と驚かれる。餃子、ソーセージ、ハンバーグ(これはそもそも苦手な料理)、ベーコン巻きのなにか、刺し身※酢飯ならOK、スープや汁物全般、ミルクを使った料理、麺類、芋が前面に出てきている料理(肉じゃがはぎりぎりOK)、粉物等、こんなのだから僕は独り暮らしを始めてからもち米以外の米を買っていないし、使うこともないから炊飯器もない。なんなら電子レンジもない、冷凍後ご飯を解凍する必要がないので。食べたくならないのかと聞かれるのだけれど、まずならなくて、もっとも僕はあまり米を美味しいと思ったことがないのが大きいのだと思う。むしろ美味しくなかった記憶の方が多い、例えば弁当箱にぎちぎちに詰め込まれて冷えきった米の不味さといえばこれに勝るものは滅多にないのではありませんか?

 では主食は何を食べているのかと言えばパンもそうだけれど、麺や芋も多い。まったく日本的ではないね、でもそのようになってしまったのだよね。

 シチューにはパンの人だから、ご飯にかけるか否かなんて関係なくてシチューにご飯は合わないと思う訳です。でもシチューには断然ご飯だという人もいるわけで、これは家庭でどのように提供されていたかによって変わるのかなあ、変わるのだろうね。しかし僕の家では昔はご飯だったけれど僕と弟が酷く嫌がってパンになったという経緯があったりする。親と子でかなり好き嫌いが離れているのはどうして環境だけが要因でないのだろうけれど、果たしてなにが理由なのかは分からない、ただ言えるのは僕は決してシチューを米では食べられないということです。

神無月の言葉

20231004, Wed

 酷く体調を崩していた。精神面でも佳くないことがあって沈んでいたこともあって長引いたのだと思う、熱と絶え間ない苦痛は僕になにもさせてはくれなかった。ただ身体を横にして安静にするだけの日々、少しばかりも楽しさはなく、したくもない内省を強制させ、ただただ暗い瞬間が連続していた。時間はまるで引き伸ばされた飴のようにだらりと垂れ、あるいは圧縮された鉄くずのように束の間鈍い光を反射させた。頭が痛く、脳が熱を持って感覚が乱される。沸騰し変性しそうな意識の中、少しでも娯楽を得ようと手を伸ばしても身体も精神もあらゆる能動的行動を抑圧して力が抜けてしまう。苦しい、何も無い。自己を苛む寂寥は熱の訪れとともに肥大し、解熱とともに消え去った。罰のようだった、少なくとも僕にはそうとしか思えなかった。自己に去来するあらゆる現象は何かしらの意味を持つと思ってしまう悪い癖。きっと僕は、たとえ癌のような苛酷な病魔に冒されたとしてもこれが自分の罰で人生なのだと諦念し、治療を拒むのだろう。僕をここに引き留めるものはもうほとんど残されていなくて、だから後片づけの準備のある程度行っている。もしものことを考えて遺書は既に書いているし、出来る限り未練を残さぬように色々なものを削っている、捨て去っている。解放している。だけれども自由を感じられない、雁字搦めだ。身体から解放されてしまいたい、あの宇宙や海や、分子のように自由になりたいのに。体調の悪い時は決まって悪い夢を見る、それは無限に広がる襞の上に立つ夢だ、自分は独り自由であるというのにあらゆる感覚を気色悪いと感じてしまう、下の、襞を見下げるとそれは蠢いていて小さくなったり、大きくなったり、時には揺れ動く、まるで小腸を広げたみたいだ。覚醒に近くなると襞は大きく上下して僕を飲み込もうとする。逃げて、どこまでも走っていくのだけれど蠕動は治まらずやがて襞に足を取られて、押し込められる。そこで覚醒する。毎回の悪夢、もう厭だよ。

 

20231006, Fri

 そろそろ次回作のシナリオに集中して取り組まなくてはと思う、一度行動を起こしてしまえばあっという間なのに、そこまでが長いのだよね、僕の場合は書きながら糸を紡ぐようにして文章にしていくものだから物語の流れを考えていた所で進みやしない。今月中にはひとまず初稿を完成させないとまずいなあ、頑張らないとね、何も持たない僕にはもう文章を書くことくらいしかないのだから。今のよすがなのだから。

 

20231009, Mon

 ハチナ怪異譚とても面白かった。

 

20231010, Tue

 ドッペルゲンガーの本編はC108を目標に開発していきたいなあ。目下次回作のシナリオ作業をしなくてはならないのだけどね。でもようやく本腰を入れて作業するようになった、やっとだね。とりあえずは今まで書いた分をブラッシュアップした、どんな話にしていこうかまだ悩んでいるのだけれど、まあ書かなくては進まないので少しづつだけれど進めていく。今月末までに初稿を完成させたいけれど思えばあと20日しかないんだよね、一日辺り2,000字書ければいいのだけれどはてさて僕は書けるのでしょうか、書かなくてはなりません、書きます。いつもながらにスロースターターなのはそろそろ改めたいなあ。

 

20231011, Wed

 新作の感想を頂けるのは本当に嬉しい、本編制作を早く進めたいという気持ちになる。あの姉妹の顛末をまた異なる視点と時間から描きたいしその先の話を与えたいと思う、だってあんな結末のままでは誰も報われない。とはいえ作者の僕が彼女達に幸福な光景を与えるかといえばまた別の話ではあるのだけど。

 色々な感想を見てやはり理香子のことを書いていてくれる方が多く、他人に伝わる形で彼女を表現できたのだと思うとほっとする、柊理香子という存在はなかなかに描くのが難しかったから。他にもくるみ、マエダ、先生といった人々についての言及もあったし UIやパッケージに対する言及もあった。僅かでも気を引くものであったこと、言葉を残すに値する表現となっていたのなら嬉しい。性質の異なる人間を描くというのもまた難しかった、くるみの奔放さ、マエダの気持ち悪さ、先生の悪辣さ、そういったものを書き分けられているのであればなによりだ。

 現時点で本編のUIはある程度構想として練ってあるし、パッケージのデザインはほぼほぼ固まっている。まだ遠い話ではあるのだけれど本編パッケージは二種類用意しようと思っている、片方は僕の自己満足版、アクリル製の標本チックな物で中にはディスクの他にBGMのダウンロードカードを入れられればと思っている。もう一方は通常版としてある程度無難なデザインになる予定だ。まあ楽しみにしてもらえればと思う。

 先日Prequelのパッケージ版を再販して欲しいとの要望を受け取った、僕個人としては作りたい所なのだけれどなんだかんだで頒布価格ギリギリの製作費になってしまうからおいそれとは作れない、少部数だと赤字になってしまうのです。少なくとも40部は作らないとならない。一応BOOTHのパッケージ版頁は再表示するので入荷通知ボタンを押してくれればと思う、それが一定数に達したら再生産を考えます。

Child of Doppelgänger-Prequel- - 万年筆と神経毒 - BOOTH

 

20231013, Fri

 新作のシナリオが難航している、三人称って難しい。もう既に初めてしまった物語だから止めることは出来ない、流れを作らないと。説明的なのは好きではない、詩的でないと好きになれない、本当は長い長い物語詩を書きたいのです、でもまだその力量がない。

 

20231016, Mon

 先の土曜日のことになるのだけれど、僕はオフ会に参加してきた。数年前に参加した合同制作のメンバーとのオフ会。楽しい時間だった、だから時間は瞬く間に過ぎてしまったし、終わった後の余韻もまた寂しいものだった。僕はあまり人と関わることを好まないけれど、たまにはこういうのも悪くない、他人の感性に触れるのはいつだって少なからず刺激を受けるし、同じく創作をしている方々との交流であるから自分の創作への気力も高まるというものです。今現在は新作の制作に追われて忙しいのだけれど折りをみてメンバーの作品をプレイしたいものです。

 

20231021, Fri

 平日の進捗が微々たるものになってしまうのはどうにかしたいものです。

 

20231022, Sun

 もっと外に出て見聞を広げたいと思うし、経験を積み重ねたいと思うのだけれど、なんせこういう性格なものだからどうしたってうちに篭りがちで足が外へ向かない。この土日も近くのスーパーに買い出しに出向いたくらいで結局遠出はしなかった。週に一度までとはいかずとも月に一回は普段行かない所へ行きたいとは思っている、でも興味を惹かれるものが少なくて、たとえ行きたいと感じたとしても行きたくないとも思ってしまう。だって疲れてしまうことが容易に想像つくから。昔から楽しみな事柄があったとしても付随する厭な部分を考えてしまった、旅行はその前後の準備と後片づけが面倒で道中も疲弊する、美術館や映画館に行くもの電車の乗り換えが、人混みが面倒で憂鬱にさせる、買い物も一々検分するのが億劫だ——だから基本的にオンラインか会社帰りに買い物は済ませてしまうし、服を買うにしても試着すらしない。改めたいとは思っている、思っているのだけれどこの性格は黴びのようにじっとりと内面に深く根ざしているから変えられないのだろう。僕は全く人として腐っているのだ、変化を恐れるために対人関係を築くことが難しくて蟄居している、既にある関係を持続させるのも最低限で同窓会にもまず参加しない、生きることに楽しみを見いだせない、自分は生きながら死んでいるのだよ、屍人だね。骨や標本に惹かれるのはそういった認識があるからなのでしょうか、生き物の生々しさが時に不快感を与える——しかしそんなことを贖罪と命で書いたなあ、あの主人公はかなり僕と似ている。だから無機質なものに酷く心惹かれる、金属、硝子……さて僕は一体何を書こうとしていたのでしょう、こんな内省的な文章をだらだらと書きたい訳ではないのです、経験を増やしたい、そうです、僕は様々な事物に触れたいのです、でも臆病な部分が足を引っ張ってしまう。誰かこの泥濘から引っぱり上げてくれる存在はないのでしょうか。

 

20231028, Sat

 また風邪を引いた。喉が痛い、熱が重い。

 

20231029, Sun

 今日は日が昇って落ちるまでずっと仰臥していた、染みついた汚れのような消えぬ頭痛と熱く煮えたぎった身体。水の飲むのも飽き果て、コップに一つまみの食塩、小さじ一杯のグラニュー糖、適量のレモン汁を混ぜた疑似アクエリアスを飲んでいる。適当に作ったのだけれど案外うまく調合できた、ほのかな甘みと酸味が美味しい。こうして文章を書いているのも一苦労で、今の時間(22:29)になってやっとパソコンを起動できた。

 しかし寝ているだけというのは実に退屈で、暇をつぶそうともそんな気力が湧かないのは実に嘆かわしいね、毛布の下で胎児のように丸くなってスマホの煌々とした画面を眺めていても倦怠感がそれを赦してはくれず、すぐに目を閉じてしまう。暗い視界の中で見たことのない写真を切り貼りしたような風景がまるでガン細胞のように増殖、肥大する。これがピンクというか、赤黒い色だったら沙耶の唄の光景だね。気持ち悪くて、でも目をそらせない、それは頭の中で響く音楽のようで目の開こうとも残影がそこにある。ああうざったい、ここから消えてくれ。頭が重く、もう指動かすのもを億劫だ。頭が痛い、熱い、もう疲れた、再びベッドに戻ります。

 

20231030, Mon

 シナリオはまだ完成していない、病に伏せていたのがかなり響いてしまった。ちょっとだけ〆切を延ばす、11/5までにはなんとか。それ以上伸びるといよいよ他の作業に支障が出てしまう。

長月の言葉

20230902, Sat

 時に僕は前向きなことを書くけれど、根は暗いままなのでいつだって希死念慮を抱いていて、今も全てを終わりにしたいと考えている。考えずにいられない。頭の中をぐるぐると周遊する生への諦念。水晶体が、銀鱗がまるで小魚のように光を跳ね返す、抵抗するみたいに。もう生きられない、と思うけれど、でも生きなくてはならないとも思う。理由は分からないけれどそれを探すことが今の僕の寄る辺になっている。外に対して興味は尽きないけれど、何からしていいかが分からない。どこへ踏み出せばいいのかを示す闇夜の灯火なんてものはない。亡羊の嘆というやつだね、僕はまったく自分の墓標を探している。

 

20230907, Thu

 先日ルームライトを買った、球体のやつ。美しいと思ったから、それ以上のことは考えなかった。ライトは明かりを灯していない時は鏡のように佇み、周囲を反射している。内部の電球が灯れば光は内部で反射を繰り返し、どこまでも続いているようにも見える。宇宙のようだと思う、僕は別に宇宙に思い入れがあるわけではないのだけれど、宇宙だと思うとどうして神秘を感じてしまう。どこまでも広がるあの暗い外界は想像の埒外にあってあらゆるものを包んでいる。それはとても恐ろしいことだと思うのと同時に敬虔な気持ちにもなる。僕は今日も光る球体に頭を垂れている。

 

20230910, Sun

 他者からの否定も肯定も拒絶も称揚もこの内面においては僅かばかりの波紋を現すばかり。病じみた諦念には効かず、今日も巻貝のように身体を、心を萎縮させる。外が恐ろしいと感じ、逃げ場がないと思う。動きにくい。重荷だ。どうすれば? どうしようもない。どうして? どうしても。殻を捨て去りたい、でも無理だ、柔らかい部分を晒せるほどの胆力を僕は持ち合わせていない。きっと直ぐに腐ってしまう。

 

20230914, Thu

 悲しみを越えた憂鬱、荒漠たる空虚、打ちのめされ慰めようのない生への諦念、このようなタスカーにも似た感情が僕の中の奥の方でじっと細く長い川のごとく流れている。まるでそれは髄液、中枢神経を覆う無色の液体。いつからこんなものが内在するようになったのだろう、この世に落ちてから既に、胎内で発生していた頃からあったのでしょうか。子供の頃の記憶はもうほとんど欠落していて、僅かな痛みとしてしか生起しないのだけれどある程度は幸福な子供時代だったと思う。しかし昔に目を向けようとするとどうしてだろう、悲しみと痛み、そして罪悪感ばかりがある。僕は佳く泣いていたっけ、それで泣き虫だと虐められた。でも泣くことの何が悪いのだろう、辛くて痛くて虚しい時に耐え忍べるほど子供は無感情ではない。齢二十六の今となってはもうすっかり涙を流さなくなってしまったなあ、小さな頃に流し過ぎて枯れたのかも知れないね、何に触れようとも涙に直結するような感情の動きは失われてしまった、悲しいことだね、すっかり無感動な人間になってしまった。最後に涙腺が緩みかけたのはアマツツミをプレイした時だっけ、結局涙は溢れなかったけれどもう少しで泣けたなあ。

 僕は小学三年生までは幸福な子供時代を送っていたと思う、やっぱり記憶は薄れてしまっているのだけれどそれほど悪いことは起きていなかったはずだから。悪くなければ幸せかといえばそうでないのかもしれないけれど、相対的に考えよう。僕の人生における重大な事件が起きて以降、多少なりとも精神は破損してしまったと思うし、続く事件の連続は——たとえ外野からすれば些細なことだとしても——思春期の子供を病ませるのには十分だった。一つ目の事件はほとんど父親の一存で決定された国内留学で、環境変化のストレスによって常に身体が不調を訴えていた。あえて詳細は書かないのだけれど尊厳は踏みにじられていたし、虐められてもいたものだからそれこそ涙が涸れるほど泣いていた。留学から家に戻ると家庭が半壊していた。父の宗教への耽溺と不倫。よく幸せとは何かを説く自家出版と思わしき本を読まされていたことを思い出す、ありがとうという言葉には魔力があってうんたらかんたら。人間の身体のその細胞一つ一つの中には宇宙が存在していてなんたらかんたら。瞑想やら信仰が高次の存在へと至る鍵とかなんとか。父と母はよく怒鳴り合っていて恐ろしかった僕はよく逃げていた、部屋の隅、ベッドの上で布団を被ってゲームボーイを起動した。ゲーム音を大きくし、外界からの邪魔が入り込まないような聖域を作り出していたっけ。その頃からなぜか監視されているような妄想が酷くなって眠られぬ夜を過ごすようになった。布団を被って、ゲームを起動することでやっとその眼から逃れられる。ぶるぶると震えながらもゲームをし続けた。思えばあの頃の暗い布団の中での情景が僕の根底にあるのかもしれないね、現実に打擲されフィクションに逃げ込むしかなかったあの瞬間、好きだったものが好きでなくなり嫌いになっていくあの感覚、僕から全てを奪い去っていく他者への恐怖、理解した振りで近付く人影、貼り付いた笑み、叫び、恫喝、泣き声、独りよがりの愛、ユートピア

 折りに触れて嫌な昔のことを思い出してしまう、僕のタスカーはあの時期に生まれてしまったのかも知れない。

 

20230917, Sun

 最近日記の更新に日が空いてしまう。(文章の練習も兼ねているので)できれば毎日、ほんの僅かでいいから書いていきたいとは思っているのだけれど忘れてしまったり、面倒に思って先回しにしたり、あるいは別のことに没頭していたりする。例えばここ数日はaffinityDesignerを弄るのにかかりきりだった。というのもそろそろ名刺をつくりたいと思っていて(新作のパッケージに拘ったように完全に自己満足で)、そのために自分を表すマークを作成したいと思ったから。サークルのマークは存在しているのだけれど、自分自身のはなかった。加えて制作用のソフトウェアを買っているのに余り使っていないのはもったいないと思ったからというのもある(そんなこと言うのなら月額1000円払っているフォトショの方を使うべきというのは分かっているのだけれど)。というわけでなんとかマークを作り、名刺の発注までした。作るなら箔押しにしたいなと前々から思っていたのでちょっと料金は嵩んだけれど採用した。しかしデザインというのは難しいものだね、僕の場合デザインに関してまったくの無知というものあって一つの作品を作るのに丸二日もかけてしまった。ですからこれを本業にするデザイナーとは未知の領域ですね、僕には到底出来そうにもない。感心するばかりです。僕に出来るのは精々図形を組み合わせてなんだかそれっぽくするだけで、そこに理論はありませんから。

 

20230918, Mon

 次回作の執筆はやはりというべきか遅々としてしか進んでいない、まだ予定の1/5にも満たなくて、そろそろ集中して書かなくてはと思う。一時間程度で読み終わるものにするつもりなので最終的には5万字くらいになるのかな、まだ8千字。初めて三人称で書いているというのもあってかなかなか難しい、僕はやはり一人称で書くことが性に合っているのだろうね、でも多少なりとも挑戦していかないと成長は見込めないと思うからなんとか書き上げたい。内容としても今までの作風とはこれまた変わっていてファンタジーというかSFというか、とかく現実的でない作品になります。スライムとなった少女との青い話です。

 

20230919, Tue

 僕は物書きの真似事をしているけれど別に文系出身ではないし——そもそも文系理系という括りは唾棄すべきだよ、下らない——、なんなら水産の修士号なんておよそ今の活動とは離れた肩書きを持っている。

 僕はどちらかといえば女性的なペンネームで活動しているけれど(割と誤解される)生物的にも精神的にも男だよ。

 世の中にある様々なカテゴライズが息苦しい、量的・質的に区分してラベルを付けて、管理するにはそれでいいのかもしれないけれど——実際その区別でおおいに助けられてはいるのも分かっている——分け切れないものもあるのではないですか。例えば赤と橙、橙と黄の境目に明確なものがないように。でも分別せずには安心できない事象が、人々がいる。その方が楽なのかもしれないけれど、分け切れずにどっちつかずとなってしまった者を無視し、あるいは無理やり片方に押し込んで個人を剥奪するのは佳いことなのでしょうか。冷たく束縛的なモダンタイムス。

 嗚呼、もう少し緩やかになりたいものです。

 

202300923, Sat

 アリスとテレスのまぼろし工場を観てきた、とても佳い作品だったと思う。少なくとも直感はそうなのだけれどまだ言語化するには至ってない。感動した時に訪れる後頭部の痺れはまるで異なるレセプターに結合してしまったかのように生起しなかったのだけれど、得られた充足感は確かに心が揺れ動いた時に発せられるものだった。物語の咀嚼はあともう一度観ないと難しい、僕は中盤に差し掛かるまで状況を上手く掴めずにいたから。それでも閉塞的な序盤から所々に挟まるエロティックなシーンもイツミとムツミの質感の異なる感情の発露も小さな世界の神と化した男の暴走も印象的で醜さと美しさが渾然としていたように思う。少なくとも僕の好きな作品だった。

 

20230927, Wed

 自分が無理。

Child of Doppelgänger -Prequel- あとがき的な何か

 新作、[Child of Doppelgänger -Prequel-]を世に出してから半月が過ぎた。早くもプレイ報告や感想を頂けて本当に嬉しいです、ありがとうございます。作者冥利に尽きます。

 さてこうして筆を執ったのは特に意味がある訳ではなく、単に僕なりにこの作品を振り返ろうと思ったから。なんだかんだで作品ごとにあとがきを書くようにしているわけで、だけど今作ではソフトウェア上に入れたいとも思わなかったから(あれは徹頭徹尾に柊理香子の物語だ)ここに残そうと思う。下らない雑文だ。以下には多少なりとも新作の内容に対する言及がある。

 

 改めて新作を手に取り、読んで下さった方々に感謝を。ありがとう。

 新作は僕のゲームとしては三作目になる。ひたすらに柊理香子という人間を書こうとしたのだが伝わっただろうか、構想では10万字くらいで書き上げられるかなと思っていたのだけれど、結局彼女の選択を描くのにその2.5倍と随分言葉を尽くしてしまった。情けない。だけどそれなりに佳い出来になったのではないかと思う、なっていればいいなと思う。

 反復、反響、背反、自反という言葉を思い浮かべながら、とにかく表現したかったのは一人の人間を物語以上の存在にすること、そして柊理香子による物語であること。結局は彼女の言葉だということ。Prequelの段階では伝え切れなかった部分は本編まで待ってもらえたらと思う。本編は一人の人間をひたすらに描くのではなく、もっと茫洋としていて、それでいて色々な人間の人生や断片が重なり合って図形となるようなものにできればと考えている。話は逸れたがとかく物語の捉え方は皆様に任せます、結句、読者の受け取れた情報が、浮かんだ心象が、揺らいだ感情こそが全てなのですから。

 つい最近誤字脱字の修正の為に読み返したのだが、やはりと言うべきか、とても重くて苦しい作品だった。自分が書いているから当然なのだけれど、自分の柔らかい部分に刺さる物語で、読むのが辛かった。三ヶ月前までの書いている時点では基本的に柊理香子の内面と同化していたからあまり感じなかったのだけれど(憂鬱の発露は快楽だから)、他人という視線にぶれると質の異なる苦しさがあった。でも、また一つ僕にとって掛け替えのない作品になったのではないかと思う。

 新作を制作するにあたってミュージックモードの実装は欠かせなかった——柊理香子が適当なCDを聞いて好きな音楽を見つけるように、というような意味を込めていないこともない。特にオーディオスペクトラム自閉症スペクトラムという言葉に呼応すると感じていたから是が非でも表示したかった。しかし僕はスクリプトの能力が乏しいので誰かに頼む必要があった。それでかねてより交流のあったねこの様に依頼し晴れて実装となった。改めて唐突で注文の多い依頼にも拘わらず受けて下さり、完璧なものを用意して下さったねこの様に感謝を。本当に助かりました。

 UI作成やその他スクリプトは基本的に自分で行った。意味を持つ形にするためにUIを一から考えて実装するのには骨が折れたが、有志の方々が放流しているプラグインの数々のおかげでなんとか実装できた。とはいえ例えばセーブロード画面は無理やりあの形にしているから判定が少しおかしくなっているところがある。迷惑をかけた方がいたら申し訳ない。

 パッケージのデザインも自分で行った。イメージとしては本やノートブックがベースとなっている。背面のあらすじとかは僕の好きな新潮クレストブックを参考にさせていただいた。一見デザインの一種として置いてあるバーコードにも意味があったりする。ディスクレーベル面はタイトルや内容から受け取れるイメージを抽象化してデザインしてみた。キャラ絵の一つも載せないのは僕が絵を描けないからでもあるんですけどね。まあ、とはいえ中身に絵がないと物足りないのでスチルは何枚か描いている。絵は苦手だからあまり描きたくないなと思いつつ手を動かしていた。だから基本的に気に入っているシーンの絵がスチルの半数を占めていて、特にクラゲと多摩川はシーンとして気に入っているからまともに描いたこともない背景すら描いた。偉い。

 あまり作品自体の内容を話すと蛇足になってしまうのだけれど、柊理香子のイメージはマリア(聖母、マグダラともに)だったり、リリス(リリと名乗っているのはこれで、彼女自身もあえてこの名前にしている)だったり、メディア(Servare potui, perdere an possim rogas ?)だったりが混和している。僕がこう言った所で彼女が規定されるわけではないし、彼女はきっと私を分かったつもりになるなと激高するだろう。あくまで彼女の内面を共有した一介の人間がそんな印象を受けた、というような軽い感想だ。

 次回作は冬コミで出す三人称の短編ノベルになると思う。楽しみにして下さっている方には申し訳ないのですが、ドッペルゲンガーの本編は少しづつ制作していきますのでしばらく待ってもらえたらありがたい、できるだけ早く世に出せるよう頑張りますから。

 この世には様々な選択があって、折りに触れて選択を強制されることが多々あります。連続する選択は精神を疲弊させ、全てが厭になってしまうこともあるでしょう。生きていることは時に悲しく、時に苦しい。少なくとも僕は文章を書きますから、こんな僕を支えると思って、それでも共に生きていければ嬉しいです。

C102

 C102にて新作【Child of Doppelgänger-Prequel-】を頒布致しました、多くの方に手に取ってもらえて嬉しいです、ありがとうございました。素人の作った拙い部分の多い作品ではあると思いますが楽しんで頂ければ幸いです。

 さて、C102を振り返る記事を書こうと思ったのだけれど大して内容が思い浮かばないので適当にいつもの日記ごとく書き流していこうとか思う。まず新作について、このブログについて に記載しているのだけれど本作は製作中の『Child of Doppelgänger』の前日譚という扱いの作品となっている。想定としてはPrequelと本編と合わせて世に出す予定だったが、繋がりこそあるものの物語としての精髄は全く別のものとなると思ったので別の作品として独立させることにした(構想段階だがPrequelと本編の舞台は時間的に4,5年離れている)。なので本作単体で繋がりを残しつつも完結はしているため気負うことなくプレイしてもらえればと思う。ちなみに僕は過去に二作品公開しているのだけれど(贖罪と命、慈愛と祈りの二作品)、作者のお遊びで少しだけ人生を触れ合わせた。本当に少し、袖と袖が触れ合うよりも薄い一瞬の重なりだ。不要と思う人もいるかもしれないのだけれど、まあ作者のエゴだと思ってくれればいい。僕はそれなりに過去作への愛着があるし、人生とは結句、人と人との縁。繋がりによって広く形成されるものであるのだから別作品の登場人物が邂逅することがあっても佳いでしょう? 本作には今の僕は注ぎ得る色々な物を入れた、例えばTragodiaが示す劇や舞台の要素はあちらこちらに転がっていると思う……作者が言うのは蛇足ですね自重します。余談だがReadmeに主な参考文献を載せたのでご参考までに。とまれ新作はこのような感じとなっている、本編は本編で待ってもらえたら有り難い。

 C102に参加しての感想。作品を手に取って貰った際にプレイを楽しみにしていると言われたのはとても有り難かったし、サークルを前もって調べているわけではないと思われる方にも興味を持って貰えたのは佳かった、パッケージに拘った甲斐があったというものです。引き続き活動できたらと思います(個人サークルの限界は感じつつ)。

 話は変わりますが僕はあまりDL版が好きではないんですよね、特に本作は(完全に採算度外視で)パッケージに拘っていますし、ちょっとした要素も込めていたりします。とはいえBOOTHのあまりが早々に売り切れてしまったこともありますので、頒布はとりあえずパッケージの追加生産(20部弱)をする方向で動きます。DL版は暫く待ってもらえたらと思います、今のところ出すかも未定ですが。

 それでは改めまして作品を手に取って下さった方々に感謝を。後日、本作について別途記事を上げるかもしれませんし、あげないかもしれません。

 

20230826追記

思った以上に早くパケの在庫なくなってしまったのでDL版出します。お待たせして申し訳ないです。ひとまず分かっている範囲の誤字脱字の修正をしてからの公開となりますので今しばらくお待ちください。

葉月の言葉

20230803, Thu

 七月はただただ酷暑ばかりを置いて去り、陽光に濡れたあらゆる人工物は灼熱を放っていて、エアコンの涼風がなければ死んでしまいそうな八月。水道水のぬるさが、空気の湿り気が、生い茂った緑からの草いきれが、叢樹から響く蟲の音が、アスファルトの歪んだ黒さが、汗の滴りが、熱く吐き出される吐息が鬱陶しい。生命が大きく栄えるのを見、生きることを放棄したくなる季節。

 コミケまで一週間と少し。新作はほぼほぼ完成していてスチルも予定の枚数を描き終えているのだけれど、若干余裕があるので間に合えば二枚ほど増やせそう。次の土日で仕上げて、あとはROMに焼くことにします。マスターアップを宣言していないけれど、完成していると思ってくれて構いません。

 

20230808, Tue

 ゲーム制作が落ち着くのでそろそろ日記の更新頻度を増そうと思う。

 

20230809, Thu

 コミケの準備もほぼほぼ終え、残すはディスクに焼くことと検品と相成りました。ここまでくるのに随分と時間を掛けてしまったし、完成した後になって——執筆中であっても——もっと佳い文章を書けたのではないかと悔やむべきことが多くて情けない。少なからず妥協したこともあって、次回作はもっと丁寧に作りたいと思う。制作を終えて、やらなければと思うのは次回作の制作で、まるでワーカーホリックだね。表現することに囚われてしまっているのはどうして僕は不器用だからなのだろう、手先は器用でも生き方が下手糞だ。

 次はドッペルゲンガーの子供本編となると思いますが、もう一つファンタジー系もお話を書いてみたいと思っていたりしています。スライム型人間、複製、遺伝子、同一性をテーマにしたお話を。まあこれは全く構想未満のことです、下らない一過性の独り言とです。とかくコミケまでに仕上げられる部分は仕上げていきます。当日は何卒よろしくお願い致します。

 

20230810, Fri

 DVD焼き終えた。50部も用意したのだけれど一枚一枚焼くのもあってか大変だった。一応ランダムでピックアップして中身が壊れていないか確かめたので大丈夫なはず、はずです。明日は当日に持っていくお品書きを印刷しましょう、そうしましょう。

 

20230812, Sat

 明日はコミケの二日目、僕は西い12aにてChild of Doppelgänger-Prequel-というノベルゲームを頒布します。五時間くらいで読み終えられる、そんなに長くない作品です。絵が得意でないけれど数枚描きました、相も変わらず線画が描けないのでべたべたの厚塗りなのだけど。作品の内容は過去作と比較しても物語性に富んでいるかと思います。興味のある方は手に取ってもらえると嬉しい。

 

20230813, Sun

 C102ありがとうございました。今日はもう眠いので寝ます。

 

20230819, Sat

 コミケから一週間が経とうとしている。僕の作品をプレイして下さった方が既に数人いて驚いている、自分でも衒学的で憂鬱な人を選ぶ作品になってしまったと思っているのだけれど、それでも評価してくれる人がいるのは単純に嬉しい。Prequelはその題が示すようにGnosis(霊的な知)であるから意識して自分でも嫌になるほど衒学的にした、やり過ぎたかなと思う。まあ本編はクライムサスペンスノベルになるので全く毛色の違う話になります。

 あとC103の申し込みをした、全年齢の短編を作るつもりです。まだシナリオは書き始めたばかりなのだけれど、結局他人に読んでもらうまで優れているかは分からないから感触がどうとかいう話は出来ない。まあ明るい話になるんじゃないですかね。架空の寒村を舞台にした人型スライムと少女の恋愛です。三人称で書いているのもあって過去作とはかなり違う文章になると思う。今作は少なくとも音楽は外注します、絵はどうしよう、頼もうかしら。

 ここ一週間は新作の準備だとかで地味に動いていて全く休まらないね、ドッペルゲンガーの本編の方もちょっとづつプロットを進めていてやることが多過ぎる。自分を浪費しているよ。苦しいばかりだけど、その苦しさがいいのだね、結局僕はサディストでもあってマゾヒストでもあるからね。

 

20230821, Mon

 怪しいセミナーでよく分からない資格を取得しついに仕事をやめた母親はなぜがお金がないと嘆き、それなのに見返りのない保険に登録している。どうやら最近僕の名前を勝手に借りて登録もしていたようで困ったものです。あの人を説得することなんてできないから僕はもう彼女の崩壊を眺めるしかないのだけれど、そろそろ実害が出てしまいそうなので更に距離を置くべきなのかなあ。今年の夏は実家に帰ることも拒否した、関係が険悪という訳ではないのだけれど会って話すこともないし、彼女の言葉に耳を傾けるつもりもなかった。いい加減目を覚まして欲しいと思うのは僕の勝手な願望で、夢から覚めて現れる荒漠たる現実はきっと精神を摩耗させてしまうと分かっている。彼女だって分かっているからいつまでも甘い宿願を胸にして、脳を麻痺させながら愚かな選択をし続けるのでしょう。

 

20230823, Thu

 僕は根っからのぐーたら人間ですから、何らかの〆切がなければまともに動くことが出来ないのです。創作者にありがちな胸の内に灯る情熱だとか、切々たる願望など持ち合わせてはおりませぬ。新作だってコミケという期限を設定していなければ今年の末に完成していたかどうかもあやしいところで、しかし完成させることが出来てしまったのだから全く僕はどうして動くことは出来るのです。行動できるが、とてもスロースタータ—なもので、いざ動こうと思うまでが実に長い。こんな自分が嫌なのだけれどそれを改善することも煩わしく、嫌だ嫌だと嘆いてばかりの様はナマケモノにすら劣るだろうね。本編の方も少しづつ動いて明確な期限を設定しなければと思う、でないとずるずると作業を長引かせて完成はいつになることやら。想定としては二年後を目処に世に出したい所ではあるのだけど、はてさて未来の僕は頑張ってくれるのでしょうか。少なくとも今の僕にはある程度の気力がございます。

 

20230828, Mon

 文章が佳いと称されるのはとても嬉しいことです、だけどもその実僕は自分の綴る言葉の何が佳くて、個性的なのかが分かっていないです。ただ自分の中にある波のようなもの、リズム、美しさや憂鬱を表出させているに過ぎなくてこれが個性なのでしょうか。僕にはあまり想像力というものがありませんから、物語を創るにも色や映像はなく、無味乾燥とした文章と音律でしか出てきませんから、不思議でならないのです。舌先で転がした言葉の粒立ちや舌触りを感じることがもしかしたら他者が感じる所の映像的なイメージと連関しているのかもしれませんが。

 

20230829, Tue

 批評空間に新作がもう登録されていて驚いた、しかも既に何人もの方々にプレイして頂いている。なぜか前作の慈愛と祈りよりもプレイ済み多いし、不思議なものです。数で言えば慈愛の方が世に出回っている数が多いのですが、ドッペルゲンガーの方が書かせる何かがあったと言うことでしょうか、であれば嬉しいことです、少しは進歩できたということでしょうから。

 新作は前作の公開から四年ほど経ってしまったのだけれど、その間二年半ほどは院生でしたのでほとんど創作を行えていなかった。実作業は一年半ほどになるのでしょうか。次回作はドッペルゲンガーとは別の作品(習作的な)になるのだけれど、本編もできるだけ早く出せたらと思います——ボリュームはPrequelの二倍くらいかな——、予定では2,3年後を目処に……。しかしその頃の僕は29か、もう少し早く出せるといいなあ。