万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

チョコレートを食べたら無罪になると思ったのに無期懲役だったので水死体になりたい。

 甘いものは総じて好きなんだけれども、その中でもチョコレートは飽きずに食べることが出来ているので好きなのだと思う。正直本当に好きかどうかを問われると自信はないのだけれど、そもそも自分が好きなものって分かると思えない。好きだと思っていても常に好きのボルテージがマックスな状態に置かれることはないわけで、それは好きではないという感情が混じっているからでは無いかしらん。チョコレートだって食べ過ぎるともう食べたくないと思うし、チョコでも板チョコは最近飽きてきた。毎日バリボリ食べていたというわけでもないのに、板チョコはくどいように思う。味が単調なんだ。最近は「神戸ショコラ」と「生クリームチョコレート」にハマってる。美味しいからね。でもそのブームだってそのうち過ぎ去ってしまうのだろうし、過ぎ去ってしまったら僕が好きなものってなんだろうって思うわけで、数ヶ月前はじゃがりこにはまっていたのに今はもうそれほど食べたくはないのと同じ様な気持ちになるんだろうなあ。好きとは一体? 

 ユウという好きなキャラクターがいる。Re:LieFのサブヒロイン(僕としてはメインヒロインなのだけれど)。僕は彼女が好きだから時々FAを投稿したり、bot を作って話しかけたり、バレンタイデーだからと自分にチョコ味のたい焼きをプレゼントしたり(ユウちゃんはたい焼きが好きなんだ)と、まあオタクっぽいことをしている。いや、っぽいというかオタクなんだけれど。でも最近は彼女の顔を見るのが辛くなってきた。好きな気持は変わらないし、他のキャラにも靡かないくらいには愛していると思う。でも辛い気持ちが出てきてる。それは相手が二次元だから触れられないというのがあるのかもしれないし、でも僕は好きが行き過ぎて拒絶に転向してきたんじゃないかなあと思っている。限界というやつだ。困ったものであるけれど、それって僕が板チョコをくどいと思っているのと同じことなんじゃないかなあなんて思うのだ。彼女はゲームのキャラクターで、ゲームの中に存在しているから(現実世界にタペストリーがあるけれど)、不変だ。年も取らないし、新しい表情が追加されることもない。新作も発売されてないから、彼女の他の面を見ることも叶わず、僕は単調な彼女の存在を享受し、自分の中で膨張させている。板チョコは同じメーカーのなら常に同じ味で、僕みたいな貧乏舌にとってはリニューアルしたってきっと同じ味に感じられるのだろうから単調なんだ。どちらも単調で、僕の中でその好きを維持しなければならないものなんだ。

 好きとは感情であり、感情は波であり、波を維持するにはエネルギーを必要とする。僕は単調なものにはエネルギーを割きたくないと思っているのかもしれない。単調という永遠の暫定措置。僕はチョコを食べたら快感の中で溺れるものだと思っていたのに、実際は飽きという無期懲役が迫ってくるのみだった。でも飽きなんてのはチョコに限らずあらゆるものに付随してくるものなので、僕はエネルギーを注いで好きを好きのままにしなくてはならないのでしょう。一瞬の快楽ならばエネルギーを使ったことに気が付かないが、長い快楽を維持するのにはエネルギーが消費されているのだと気が付くのは当然のことに違いない。

 今も神戸ショコラを口に含みながら文章を綴っているのだけれど、前食べた時はもっと美味しかったように思う。香ばしくて、苦味と甘味の調和が快感をもたらしてくれたはずなんだ。きっと飽きが近付いているのだろうなあ。でも味に対する好きを維持しようと思ってもそれはなかなか難しいことで、むしろ不可能なのかもしれないので、僕は味ではないものを好きでい続けたいなあと思うのでユウちゃんのことを想い続けたい。早く新作が出てくれないかなあと心待ちにしている。

 好きに囚われた人間なので僕は好きに溺れて水死体になりたい。