万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

父の日

 父の日というものは僕にとって嫌な思い出しか無い。というのも僕には現在家に父が居ないことからその背景は薄っすらと伝わるのではないだろうか。そもそも父という言葉自体に嫌悪感を抱くように育ってしまったのだから、父を称揚するこの父の日という文化と相容れないのは当然のことだろう、何回僕が「父の日になにかプレゼントするの」というような話題に対して、薄っぺらい笑みを貼り付けながら、「あはは、なににしようかなあ、迷うよね」みたいなことを言ったことだろうか。内面では「プレゼント以前の問題として僕に父親とか居ないし。……そうやって君たちの当たり前をぶつけられるこっちの身にもなってくれないかなあ、答えられないんだよ」と思っていた。まあそんな僕に父親が居ないという事実を知らない人達はケラケラと幸せそうな顔で笑っています。はあ、僕が悪いんですか。父親が居ないというだけでこんな惨めな気持ちになる僕が間違っているのですか。分かりますよ、父親が居ないって普通のコトじゃないことくらい、本当に普通じゃない。でも知っていますか、日本の約2%は母子家庭なんですよ、2%! 宝くじで高額当選する確率よりもずっと高い。普通でもなければ稀でもない、中途半端なんですよ。

 別に僕は母子家庭だからといって不幸だとは思ってませんし、ああ、そういえば吐き気がするほど憎たらしいのは中学校の時の数学の先生……確か嵯峨とかいう名前だったかな、女性の先生で、教え方が酷く下手だった。あと生徒を贔屓するのがあからさまで嫌いだった。僕は数学が嫌いではなかったのだけれど、彼女の授業を受けてからというもの数学が嫌いになった。どうも人間性からして相容れなかったんだ。僕の両親が離婚調停中のことだけれどね、彼女、嵯峨は僕を呼び出して(確か部活動の合間だったかな)こう言ったんだ「君のご家庭では少し難しい問題があるのかもしれないけれど、何か相談したいことはない? 私は君の味方だからね」と。味方、はあ、味方ですか……授業では僕やその他大勢の生徒をないがしろにして特定の生徒ばかりを贔屓していたあなたがそれを言いますか? まあいいですけどね、心にもないことを言っているのは分かっているんですよ、あるいは可愛そうな子供とでも僕のことを見ていたのでしょうね。それが僕のことを傷つけないとでも、味方が欲しいときもあるけれど、でも少なくともあなたではなかった、絶対に。人が(傍から見れば)不幸になった時になって初めてまるで私は理解者だと言いたげに寄り添ってきて、授業の時とは打って変わってトーンの高い猫撫で声(警戒を解こうとするような、僕は警戒心の強い野生動物なのか!)で僕に話しかける。気持ち悪い。話しかけたくなければ話しかけなければいいのに、どうして僕に構おうとするのか、それが先生であるということだから? 中途半端に関わることしか出来ないのならば腫れ物に触るように振る舞うのではなく、むしろ無視してもらいたかったものだ。

 スーパーには父の日を賛美するかのように生鮮食品や惣菜には特に「父の日」と書かれたシールが貼ってある。目眩がする。スーパーではとにかくイベントごとにちなんだシールを貼りまくるという悪癖がある、資源の無駄なんじゃないかなあ、と思う。シールが貼ってあり、「この商品を買おう!」となるのだろうか、少なくとも僕はない。クリスマスだって、ひな祭りだって、ハロウィーンだって関係ない。というかハロウィーンと生魚(丸物)とか、父の日とチャーシューの細切れってなにか関係あるんですか? なんでもシールを貼っとけばいいと思っているのでしょう。消費者を馬鹿にしている。安く陳列されているというのならば分かるけれど、そんな気配はない。ただシールが貼ってあるだけ。意味がない。

 母の日と比較して父の日というのは影が薄い。カーネーションを用意するような華やかさがあるわけでもないし、そもそも父というのが存在感が薄いのかもしれない(少なくとも僕の場合何年も父と会っていないのだから存在感は薄れている)。可愛そうな存在だ、まあ育児に参加しないというのもあるかもしれないが。

 僕にとっての父親の像はかなり悪いものになっている、だから僕の作品の父親は暴力を振るうのだろう。きっと世の中には宗教にはまらず、暴力を振るわず、養育費を振り込む父親が居るのだと思うのだけれど、僕には想像できない。想像できないことは書き難い。書き難いからどうしても書きやすい姿として父親は悪役として僕の作中に登場する。宗教にはまって、ドロリとした眼で僕を見る父、その後僕に迫るのは罵声だろうか、それとも拳だろうか。

 子供の前で両親が喧嘩するのはきっと教育上よろしくない。子供は変貌した両親の姿を見、怒号を聞き、震え上がる。止めようとしても、止められない。あまりにも非力だ。彼らの問題を前に僕らの立つ場所はない。後になって親権を争うというのに、どうしてあの時僕を遠ざけたのか、意味がわからない。意味がわからないまま両親は親権を争い、弁護士を雇い、金を浪費する。養育費よりも親権のほうがよほど大切らしい。弁護士も嫌いだった。嵯峨のような印象の女性の弁護士で、化粧の強い臭いがした。弁護士の顔はもう覚えいないのだけれど、彼女が待っていた部屋のことは今でも覚えている。鉄の重い扉を開くと、狭くて寒い部屋の中で彼女が待ち構えていた。入り口の側には背の低い棚があり、犬や魚のフィギュアやチョロQ、くまのぬいぐるみ等、統一感のないものが寂しそうに並べられていた。生気のないそれらを見て、僕は恐ろしくなった。きっと子供を食べる部屋なのだと思った。表面では子供を安心させるつもりなのに、本性では子供を疎ましく思っているのだ。繕われた子供への善意。頭痛がした。女は目を細めて笑いかけている。冷たい目だった。背後を振り返ると扉はすでに閉まっていて、僕は女と二人部屋に閉じ込められた。彼女と何を話したのか覚えていない、でも僕はできる限り両親を悲しませないことを話そうと努力していた、彼らに不利な証言をしないようにと、足りない頭で必死に考えた。いつの間にか僕は部屋から出ており、寒い廊下に立っていた。天井では切れかけの蛍光灯が弱々しく点滅していた。その後母に連れられて食べたラーメンはドブのような味がした。紅生姜がイトミミズに見えたんだ、混濁したドブ川の底に住む嫌悪感の象徴。僕は悪くない。

 嫌な記憶が一斉に僕の方へ向かってくるから父の日というのは嫌いだ、一生好きになれる気がしない。