万年筆と神経毒

浸潤する言葉を。

執着と金銭と壊れていく人格

 先日まで実家に帰省していた。母は更に太り、祖父は物忘れが酷くなり、祖母は偏屈さに磨きがかかっていた。時間の経過がそうさせるのか、あるいはこの三人で暮らしていることが原因なのかもしれない。母と祖父母、特に母と祖母の関係性は断絶の一歩手前で、憎しみ合っていると言っても過言ではないほどだ。自分が欲しいと思ったものは何でも買ってしまい、家に置き場がなくともため込んでしまう祖母は次から次へと物を増やし、実家の二部屋はもはや足を踏み入れることすら難しい。そんな祖母を持って育った母は物を増やすことを極端に嫌がり、断捨離と言っては様々なものを捨ててしまう。二人とも病的だ。

 相反する特性を持つ二人は互いを容認できず、常に啀み合い、それは子(孫)がいる前でも変わらない。母は祖母の愚痴をこぼし、間違っているのは祖母の方だと僕に同意を求める。鬱陶しかった、僕はあなたの言葉のゴミ箱じゃぁないんだよ。母はSNSに傾倒していて、やれバズっていただ友人が称揚していただと人々の注目を集める事物にばかり興味を示す。バズっていたもの(大抵は食べ物)を買いその写真を投稿していいねを貰い、加工した見せかけの幸せの形を投稿していいねを貰い、承認欲求を満たしている。自分というものがまるでない、他人が承認しなければそれを認めることができず、数多くの投稿をしていいねをかき集めてやっとのことで自分を成り立たせている。まったく現代病だね、これは。自分の成立に躍起になる母、その精神はSNSで支えているが、肉体の方はどうかといえば太るばかりで気を遣っているのは傍目には怪しいところだ。しかしその体形故か健康には人一倍敏感で、効果も立証されていない健康になる水だとか、農薬不使用のオーガニック食品ばかりを摂取している。先日も水道水にはどんな菌(ウィルス)がいるのか分かったものでないのだからこの綺麗な水を飲みなさいと強いてきた。意味が分からない、水道水に残留塩素があるのはそういった微生物の繁殖を防ぐためだし、少なくとも現代日本で水道水を直接飲んだところで健康被害など起こるべくもない。水道局の厳格な検査を馬鹿にしてるよ、これは。まったく健康への執着というものは厄介だ、"健康的"という偏光レンズによって歪められた思考には正しい情報は届かず、見せかけの健康的な(科学的には間違った)情報ばかりが届き、思考はますます歪められていく。SNSの狭いコミュニティの内輪のいいね合戦で有無も言わせない承認に慣れてしまった脳は懐疑という疲れる行為を避け、流れてくる情報をただただ受容する。まるで管を繋がれたガチョウ、フォアグラ製造機。救えない話だよ。

 自分の今の状況を不幸だと嘆き、現状から脱却したいと思う人間が縋るものは分かり易いものだ。つまり金、Money。目に見えて増減するし、あればあるほど可能性を増やしてくれるように思える。簡単な成功の証。見せかけの幸せの指標。自分の父は幸せになるために金に酷く執着していた。吝嗇家というわけではなかったが、金を増やす方法や成功する方法を常に考え——時には投資に手を出して200万の借金を背負い——、まだ幼かった僕にもよく金儲けの重要性について説いていた。今でも覚えているのは成功の十箇条と呼ばれる父が考えた成功への道しるべを書いた紙を朗読させられたこと——父の言う成功に少しも興味はなかったのに、父はそれを強いてきて、苦痛だった。成功と金銭への魅力に取り憑かれた父がやがて幸せを求めて宗教にハマり、そこに金を落としていたのは皮肉な話。まあ、宗教施設で新たに愛する人を見つけ、離婚し、新たな生活を歩めたという意味では少なくとも一人称的には幸せなのでしょう。

 そんな金を盲信していた父を憎んでいた母もまた金を愛するようになっていた。自分の現状を嘆き、少なくとも年収を二倍にしたいと言い、挑戦だといってよく分からない団体に所属していた。よく分からないというのは僕が知ろうとしていないからではなく、調べても本当によく分からない団体なのだ。ある分野での著名人が築いたということと、そこでは何人もの人が成功しているということは分かった。上昇志向があるのはいいとして、またどうして怪しい団体に入ろうと思うのか、父によって引き起こされた家庭の崩壊は忘れてしまったのか。自分は貧乏だと嘆き、金さえあれば幸せになれると思い、一心不乱に金を求める姿は父のソレと全く同じで、あの父あってこの母だよ、どうして僕の一家はこうも金に振り回されているのだろうね。嫌だね、醜いね。だから僕は金というものが嫌いなんだよ、人格を容易に変貌せしめ、縛りつけてくるものは愛だけで十分なんです。

 SNSで承認されることでしか自意識を保てない人だから、現実と願望の差に引き裂かれそうな自己を救済する、持たざるものを是とするミニマリズムという教義に取り憑かれ、世に蔓延る物質主義に反抗し、自分の人生に反抗しようとする。反転することで自分が優位に立ったように思わせる甘い魔術に惑わされて、その甘やかで物の少ない平坦な世界に執着し、成功の指標として金銭を追い求め、壊れていく。救えない話だけれど、本人は救われていて、どうしてこうなってしまうのかなあ。